twitterで数日前から
原理的には最短二年程度ですべての原発を止めうるというのが現実味を帯びてきた状況下では、原発推進も反原発も脱原発も無邪気ではいられない。どれを止めてどれをいつまで動かすかをまじめに議論することになるし、反原発運動といえども「再起動」を認めなくてはならないときがくる。
という趣旨の話を書いて、一部のかたには怒られ(無邪気ではいられないという表現がいけなかったようですが、そんなに妙な表現とは思っていません)、一部のかたには同意していただいたのですが、菅首相が浜岡に停止要請をしたことで、この話が現実味を帯びてきました。
浜岡は止めればいいと思っていますが、その先を考えると気分はかなりブルーです。
「浜岡をすぐに止めよう」という運動と「すべての原発をすぐに止めよう」という運動は、実は必ずしも相容れるものではないということに気づいている人と気づいていない人がいるのだと思います。後者は無邪気にすぎるということですが。そうではなく、これからは「どの原発の再起動を認めるか」が争点になっていくはずです(すべての原発は最長二年の運転ごとに定期点検が義務づけられている)。
金を灰吹炉する方法
節電でしのぐという考えかた自体は悪くないのですが、ときとして「○○は贅沢だから止めろ」という健常者視点の乱暴な意見になってしまうのが気になっています。バリアフリーの中には電気で実現しているものが少なくないのだし、高齢者や体力のない人には夏の冷房が重要なのだから、簡単に贅沢と言って欲しくはない。駅のエスカレーターは贅沢か、という問題はきちんと考えたほうがよいです。自分は平気だから他人も平気なはずだ、というのでは乱暴にすぎます。
電気がないと生きられない人たちがいることも考えたいところです。
大規模停電の怖さを考えると(人が死にます)、単純に発電可能量を足し算して、かつかつで足りるという話ではだめで、マージンがどれだけ必要かも含めて話をしないと。また、中には発電可能量を足す際に、どの発電所も点検のために止まるということを忘れる人もいるように見受けられます。
また、経済への影響を心配すると、経済より安全がだいじだというかたがおられるのですが、経済が落ち込むとたくさんの人が死ぬのではないでしょうか。電気料金の値上げが回りまわってどういう影響を生むかも、ちょっとくらいは考えるべきで、何も考えないのは無邪気にすぎると言うべきでしょう。
どのように正弦波が動作しない
多くのものが「電力の安定供給」を前提に作られています。長期的には脱原発が事実上の規定路線になったと思いますが、オイルショック以降何十年もかけて、現在の電力の体系ができてしまったので、転換にはやはり相当の時間がかかると考えるのが自然でしょう。
この話にオチも結論もありませんし、特に提案もありません。
反論されても、僕はそれに対して有効な反論はできないと思います。
敵味方とかall or nothing的な二分法で語れた時代は終わったと言いたいだけですが、単に乱暴な話を書いているだけと思っていただいてもかまいません。
キャッチフレーズだけ繰り返しておきます
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最短二年程度ですべての原発を止めうるというのが現実味を帯びてきた状況下では、原発推進も反原発も脱原発も無邪気ではいられない。
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もうひとつ考えついてしまったキャッチフレーズは
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原発推進と反原発の蜜月時代は終わった
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ですが、これはレトリック嫌いのかたにはさらに怒られるでしょうね。でも、思いついて、気にいったので書かずにはいられませんでした
吉岡斉さんの岩波ブックレット「原発と日本の未来――原子力は温暖化対策の切り札か」は一読の価値があります
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[追記]
このテキストをネガティブに捉えるかたもポジティブに捉えるかたもおられると思いますが、僕は「脱原発」がだめだと言っているわけでは全然ないので。ただ、2年で達成してしまうのは、無茶だと思っていますが。
浜岡だけに停止要請をしたことで、停止中の原発の再起動問題が既に持ち上がっています。地元自治体としては、簡単には再起動に同意できないのも当然でしょう。それがこれから順番にやってきます。その気になれば、本当に2年ですべての原発は止められます。「止めろ」ではなく「再起動させるな」でいいわけです。
しかし、この文章くらいでも「原発推進派」に見えちゃうんですかね。
[追記]
社会構造はインフラに合わせて最適化されてしまいますし、インフラはその社会構造に合わせて整備されるという意味で、インフラと社会構造は共進化なのだろうと思います。共進化による一種の「袋小路」(過剰適応)状況から、どう別の穴に移るかという話だと思うのですけれども。たとえば、電波時計用の信号を出すNICTの設備が避難地域内にあったために、多くの時計の時刻が合わせられなくなったことなど、過剰適応の結果ですよね。
まあ、こういうことは書かないほうがいいのかもしれませんが
[追記]
吉岡さんのブックレットを挙げたことでわかっていただけると思うのですが、現実的な脱原発を議論してきた人たちがいないと言っているわけではありませんので、念のため。ただ、そういうかたがたにとっても、事態の推移は急激すぎるのではないかという気はします
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