コミュニケーションの手段として使われる声ですが、ザトウクジラのオスは「歌」を歌うことがあります。
歌う理由として、メスクジラへの求愛といわれていますが、まだ謎な部分も多く解明されいません。
コミュニケーションの手段として使われる声ですが、ザトウクジラのオスは「歌」を歌うことがあります。
歌う理由として、メスクジラへの求愛といわれていますが、まだ謎な部分も多く解明されいません。
日本の学校もいよいよ夏休みが終わりますね。
今頃宿題に追われている子もいるんでしょうか?
可愛い花
この年になると新しい記憶力よりも過去の記憶をファイルから戻しながら比較する
生活が多くなる!新しい物は全て横8cm×高さ12cm厚さ2cmの携帯機種に
PC以上の機能が詰め込まれた代物が主流になっている
老人には必要ない代物である!人差し指で上下左右にスイスイと動かしピンポン
パンといじれば電話から音楽・写真・切符・予約・電車にも乗れる・・ついていけない
しかし、よく考えると自宅で卓上PC/音楽は小型ステレオ・簡単携帯電話等
があればその携帯多種機能箱は必要ないと私は思うのだが!私は老人である
若者は言う老人はこの優れもの機能機会を使い切れないから過去に拘る!自宅に上記の個々機械が存在すれば必要ないだろう!それほど秒刻みで働いている?
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『ザ・コーヴ』が日本公開された3日後の2010年7月6日に放送されたNHKのクローズアップ現代『映画「ザ・コーヴ」問われる"表現"』[>>1]で、早くもこの映画の虚偽性が問題にされているが、ここでは女性ダイバーが流血イルカを見て泣いたシーンのヤラセ疑惑と、映画の最後にテロップ表示された水産庁の諸貫秀樹氏が解雇されたという表記が事実無根である事が指摘されていた。
当ブログでは今年1月のエントリー「流血イルカを見て泣く女性ダイバーのヤラセ疑惑シーンの検証」で映像検証を行い、NHKでは漁師の証言として疑惑レベルに留めていたこのヤラセを完全に立証し、更に流血イルカの映像自体がCGの疑いがある点を指摘したが、そのエントリーに映画製作現場関係者と見られる人物の英語の反論コメントが付いた。
この人物の主張は大まかには以下の二点である:
1. | 自然系ドキュメンタリーで全て本物の映像を撮影する事は不可能であり、ストーリーを再構成するためにドキュメンタリーでは在り合わせの素材が代用されるのは普通に行われる事で、これは映像で物語を表現する手法である。 |
2. | 細かい事実関係を指摘する事は些細な論点逸らしであり、それで太地でイルカが捕殺されている事実を相殺出来ない。 |
Under section 107 of the U.S. Copyright Act 1976, the fair use of copyrighted materials is not copyright infringement. Article 32 of the Copyright law of Japan allows published works to be quoted for news reporting, criticism and research purposes. This blog is non-profit and using materials for criticism and research purposes that fulfills the condition of fair use. |
このコメントの主は昨年11月3日に初めて来てから1月8日にコメントを残すまでにほぼ毎日のようにアクセスがあり、このコメントの日に初めて読んだというのは建前である。
また、初訪問時に検索アクセスではなくダイレクトにシリーズ『捕鯨・動物愛護・レイシズム』の目次エントリーにアクセスしているため、「Passerby」(通行人) を名乗っているが偶然通りかかった人物ではない。
ドキュメンタリーの認識が違う点は考慮したとしても
この主張に関する一つの要素としては、日本と欧米でドキュメンタリーの定義がある程度異なるという背景があるらしい。 日本におけるドキュメンタリーとは「脚色や演出を加えず虚構を用いずに記録に基づき実際の出来事を記録したもの」であり[>>2]、再現映像が用いられる場合はそのように表記されるか又は明らかに分るように作られている。
そして虚構を事実として演出すればそれはヤラセと言われる。
一方英米では社会問題の提示がドキュメンタリーの目的でありそのために再現や演出が許容されるのだという。[>>3]
確かにアニマルプラネットのように過剰な演出を特徴とする番組作りの例もあり、これはよりエンターテインメント性が優先されたテレビショーとして作られている。
『ザ・コーヴ』は「自然史ドキュメンタリー」でも「野生生物映画」でもない
この投稿者は、野生動物はベストショットが必ずしも撮影出来る訳ではないために再現や似たようなシーンが代用されるのは普通に行われる事だと主張している。
しかし撮影を拒否する太地の漁師や調教師を無理矢理撮影したり隠し撮りをしたものを「野生生物映画」と呼ぶのは余りにも暴論であり、彼が太地の漁師に対して人権やプライバシーの概念を全く持っていない事を露呈している。
イルカ殺戮は事実だからその他は些細な事
というのは、イルカ漁自体が悪で犯罪でありそれを止めさせなければならないという事が彼等にとっての大前提であり、「悪」である漁師や調教師の人権など最初から考えていないため、NHKで指摘されていた「撮影の手法の問題」自体が彼等にとっては最初から問題ではないのだ。
◎哺乳類
1.フィールドサイン調査(中・大型哺乳類を対象)
調査範囲を詳細に踏査して、足跡、糞、食べ跡などの動物が生息している痕跡を調査します。
2.トラップ調査(小型哺乳類を対象)
パンチュウトラップ、シャーマントラップ、墜落缶などを用いて、小型のネズミ、モグラ類などを捕獲し、調査範囲に生息する種類と個体数を調査します。
小説家になろう講座(11月講師・村山由佳)
『意図的に当事者になる覚悟』
11月の講師は、直木賞作家の村山由佳先生(プロフィールはページ下に記載)。
村山さんが山形の講師を務めるのははじめてのこと。今回、村山さんが講師ということで、講座の窓口となっているさくらんぼテレビに、ファンからの問い合わせが多数寄せられた。村山さんがいかに人気のある作家であるかの証左だろう。当日の講座には、年間受講生のほかに新規の受講生が多くつめかけた。
作家・村山由佳氏
ゲストは、「小説すばる」編集部の伊礼春菜さんと文藝春秋第一出版局の大嶋由美子さん。伊礼さんは、天野純希さんの『桃山ビート・トライブ』(第20回小説すばる新人賞受賞作)や古川日出男さんの『聖家族』などを手がけ、大嶋さんは、三浦しをんさんの直木賞受賞作『まほろ駅前多田便利軒』、重松清さんの最新刊『サンタ・エクスプレス』(季節風シリーズ四部作冬編)などを担当されている。
村山さんは、朝、起きて会場に来るまのでの間に、エッセイを3本仕上げてきたとのこと。
「子供のときから夏休みの宿題を最後の日にするような子供でした。たぶん締め切りがなかったら小説をうまく書けないと思う。でも、もしも締め切りがなくなり、「小説を書かなくていい」と言われたらどうなんだろう、と思うと不安でもある。きっとものすごく大きな欠落を抱えて暮らすことになるんじゃないかな。自分自身、小説を欲していると思う。
たぶん、ここにいる皆さんも大なり小なり、そのような思いを抱えて小説を書いていると思います。私自身、今日のテキストを自分なりに読み解かせていただき、それをもとに話しますが、みなさんはそれを聞いておそらく、私という物書きの頭のなかを審査したり、評価したりなさるのだと思います。批評とは、もともとそういう性質のもの。だから、私も腹を据えてかからなければいけないと思っています。
厳しいことを言うことがあるかもしれませんが、それは、小説やエッセイを書いていこうというみなさんと同じ志のもと、励んでいく者のひとつの意見だと思って聞いていただければと思っています」
受講生ひとりひとりの目をしっかりと見据えながら話す村山さん。講座の世話役の池上氏の進行のもと、講座がはじまった。
今月のテキストは4作品。
『遠い花火』『太った半月』(冬月池子/原稿用紙換算6枚ずつ。※ともにエッセイ)
『台風一過』(林 香里作/原稿用紙換算49枚)
『エレベータ。』(橋本美香作/原稿用紙換算20枚)
※以下、今回のルポでは、当日会場で寄せられた生徒の感想を省略します。ご諒承ください。
■『太った半月』(冬月池子作)
・著者の概要より――
私が、嗜好も生活習慣もまるきり違う姑との同居を始めて、数年がたっている。姑が嫌うので、子どもたちも大好きな焼肉は、姑がいないときにしか食べられない。姑は長年の習慣をやめられず、植木屋に勝手に剪定をたのみ、高額の請求書をのんでいる。そんな日々を重ねているうちに家の中で緊張が高まっていく。
姑が外泊した夜、敷地の四隅に盛り塩をして回った。張り詰めた家の空気が、急に緩んだ気がした。こんな、理不尽なことをしてでも、わずかながら自分を取り戻し、同居という歳月の月は満ちていく。
▼ゲストの講評
○伊礼氏
「ある種の不気味さ、あるいはいじわるさが魅力的で面白かった。
家族という人間関係があり、それを入れ込む家がある。その家が盛り塩のあたりから生きている感じがした。生き物としての家の皮膚をはがしたその下にある、ざらっとした生々しい何かに触れたような感じがした。
ただ、『私の家』と『おばあさんの家』、『板塀』や『駐車場』など、作品に出てくる場所の位置関係が思い浮かべづらかった。しかし、それを丁寧に説明すると味わい深さがなくなるので、客観的に見たときに、読み手が位置関係をなんとなく浮かべられるぐらいの形で書いたほうがいいように思った。」
○大嶋氏
「読んでいて引っかかった部分があったのだが、この作品が連作であることを知り、納得した。
音の選び方やリズムなど、気持ちよく読めた。読んでいて思いだしたのはエッセイストの佐野洋子さん。佐野さんがお書きになっているエッセイは、日常との距離のとり方が飄々としているんだけれども、そこには世界と自分との間にあるものをとても厳しく見ているものがある。面白く読んでいるけれども、一筋縄ではいかない感じがある。
冬月さんのエッセイは、突き詰めていけば、そちらのほうが合うのではないかと思う。描写の足し算引き算などとても勉強になるので、お読みになっていなかったら、佐野さんの作品を読むことをお勧めする。」
▼池上氏の講評
「自分と世界とを非常に厳しく見据えていながらも、ユーモラスに描いている。テンポがよくて面白い。これは"ハードボイルド"精神にとんでいるエッセイなんです。淡々と事実だけを書いていって、余分なものを説明せずに、人生のある真実を読者につきつける。私生活における余分なもの、いやなものを、優しく排除していこうとする部分がテンポよく語られていて、実に面白く読めた。とくに方言の使用が、作品にとっていい手触りを出していると思う。」
▼村山氏の講評