21年目の同窓会 【前編】 | [ ひとりごと ] |
同級生の女友達Y子さんから、こんな携帯メールが転送されてきた。
へぇ、N先生がもうそんな御年だったなんて。
まずは、「長年の教職生活、お疲れ様でした。」と、心の中で深くお辞儀。
よくよく考えてみると、8X年卒業組のわれわれだって、今じゃ立派なアラフォー世代。時間だけは容赦なく流れていたのだなぁ。まぁ、毎朝鏡に向かえば、白髪は目立つし、顔には疲れが漂っているし、時の流れと真剣に向き合う機会なぞ、ちょっと意識するだけでいくらでも作れるわけだが。
私達が県立P高校を卒業したのは、今を遡ること21年前の春。
卒業式は3月の初め、確か1日だった。私立大入試が全滅で浪人を決めてヤケクソになっていた人がいたり、はたまた、国公立大二次試験を数日後に控えている人がいたり、と、どうも落ち着かない、宙ぶらりんな時期の式であった。私自身は後者のグループに属していたため、当日の記憶はほとん ど残っていない。むしろ、互いに振袖姿でキャーキャー騒ぎながら写真を撮りまくった、成人式の夜にP市のホテルで開かれた学年全体での同窓会の方が、却って鮮明に思い出せたりする。
今回は旧3年B組だけの小さな集まり、とあって、ゆっくりと話が楽しめそうだ。何せ、20年振りに会う人もいるのだから、どうしてこれがワクワクせずに冷静でいられようか。みんな、どんな年齢の重ね方をして、どんな世界で羽ばたいて、どんなことに挑戦しているのだろう...。はやる心に、行きの電車で読もうとバッグに忍ばせた本を開いてみても、中身はちっとも頭に入ってこなかった。
会場は表参道の駅近く、細い路地を少し入ったところの、落ち着いたイタリアンのお店。この近所で「社長」をやっている、M君のお気に入りの� �で、日頃から接待や商談で利用しているのだそうで。嬉しいことに今夜は貸切だという。よっ、社長っ!さすが、抜かり無いねっ!
会場までの経路がみんなバラバラなので、仲良しの女友達グループとは「現地集合ね」ってことにした。私はちょっと早めに着いてしまったのだが、その分、一人、また一人...と、窓ガラス越しに現れる懐かしい表情を認めて、「あ~~~~!!!!○○○ちゃん!!!」「おぉぉお~~~っ!あれは××君!!!」と、「当てっこゲーム」に長い間興じることができた。
髪型が変わっても、お肌がやや荒れ気味でも(お互い様ね!)、額が後退して「おっさん」度が増していても、...そして、全体的に膨張して「どすこい!」化が進んでいても(←私を含む数名...。)、笑顔がこぼれるや否や、そ� �にいるのは18歳の高校生。
人間の記憶って、「声」に手繰り寄せられて蘇って来る部分が大きいのだなぁ。知らなかった。
世界史のN先生は、「私学の雄」として有名なあの大学を卒業後、内部進学者であっても容赦なく不合格にする、超・難関の大学院博士課程で学んだ、正真正銘のインテリであった。だが、「女で道を誤り」(←先生ご自身の表現)、研究者への道をスッパリと諦め、愛する女性との家庭を築くため、公立高校の教員となられた。
道を誤り、なんて先生はおっしゃるけれど、何度か先生のご自宅に押しかけ訪問したわれわれ教え子は、その「女」イコール、美しく、聡明な、先生ご自慢の奥様であることを知っている。「誤り」というのは、いつもポーカーフェイスでブラックジョーク爆弾を二、三発炸 裂されるN先生ならではの照れだ。ま、生徒には全てお見通しなのだけど。
会場に集まったのは旧B組45名のうち、半数弱といったところか。海外や地方で暮らしている人もいるし、実家が転居してしまいどうしても連絡が付かなかった人もいるのだから、まずまずの出席率と言えよう。ただ、今回の言い出しっぺであるH君が、「どうしても抜けられない仕事」で欠席したのが本当に悔やまれる。あぁ、その「いいひと。」さ加減、昔と全然変わってないよ...。
美味しいお料理や、ワインを楽しみながら、話はあちこちで盛り上がる、盛り上がる。まずは、互いの近況報告や、家族の話。それから、「欠席裁判」よろしく、その場にいない同級生の消息や、本人が聞いたら怒りそうなバカ話や失敗談など。笑い声で彩られた、100 %毒の無い、陽気なおしゃべりって、こんなにも元気を与えてくれるものなんだ。
「俺、未だに忘れられないんだけど、Mさんがさぁ、自習時間か何かでシーンとしてた時、窓の外見て、『ギャ~~~~~~!!!』と物凄い声で絶叫したことがあって...。」
「あー!あの、犬がいきなり子作り作業始めちゃった、っていう、あれ!!!(爆笑)確かにあの時のMちゃんの声はすごかった!」
「そうそう。途端に、男子がドドドッと10人くらい、窓際に押しかけてきて...。」
「だ、だ、だって、犬が二匹、じゃれ合って遊んでいるから、『カワイイなぁ~。』と、微笑ましく見てたら、いっきなりああいう事になっちゃって!!!」
(←Mちゃん、既に3児の母なのだから、そこまで真っ赤になってうろたえなくても...。)
「T君って、黄色いヒマワリ柄のラブリーな靴下、よく履いてたよねー。密かに私ら女子はチェックしていたのだよ。」
「そうだったっけ~?母親が買ってくるのをテキトーに履いてたから、覚えてないよ~。」
「いや、かなり目立っていたよ!だって、ジャージの裾をまくり上げて、ヒマワリ柄が全部出るようにして履いてるんだもん。あれは強烈だったー。」
「R君のお父さんが亡くなって、クラス全員でお通夜に行った翌日、R君がちょうど日直で、学級日誌に『昨日はみなさんありがとうございました。でも、ウチが○○教の信者だというのがバレちゃいました』なんて書いてたよねー。」
「それ、2年の時だろ」
< p>「Rは今、何やってんだ?大学デビューした後、性格変わったという噂だけど。」「アメフトやってたんだって」「商社に行ったってよ」 (一同、爆笑)「似合わね~!!!」
いいなぁ、同窓会。
同窓会の魔法は「一晩限定」だからいいのかもしれない。シンデレラの魔法と同じで。
たまーーーーにしか巡って来なくって、しかも、お財布に余裕がある時にしか食べられない金皿に載った極上の大トロ@回転寿司のようなものだ。あまり頻繁に味わい過ぎると、有り難味が無くなってしまう。だから、5年、10年、15年...といった具合に、忘れかけた頃に集まるぐらいでちょうど良いのかなぁ、って思う。
おしゃべりビッグウェーブの第一波がようやく落ち着いてきた頃、集まりの主旨を忘れていなかった例の社長 ・M君が音頭を取り、先生の定年退職をお祝いすることとなった。
先生には可愛らしいブーケ(帰りの混んだ電車で人目を引きすぎてはお気の毒なので、サイズの方はやや小ぶりで。)、そして私が大好きな 文庫屋「大関」 さんのコレクションより選んだ、エジプト柄の文庫本カバーをプレゼント。
既にお子さん達は巣立たれたとはいえ、先生は21年前と同じマンション暮らし。しかも、大の本好きと来ていらっしゃる。私もその頃は狭い賃貸で窮屈な思いをしていたので、収納の問題がいかに切実であるかはよく理解していた。何よりも、かさばらない物を...と考え、すぐに思い浮かんだのが、このブックカバーだった。
そんじょそこらでは見かけないエジプト柄は、大層お気に召したようだ。満面の笑顔とともに返って来た「ありがとう。大切に使わしてもらいます。」という先生の言葉に、身も心もぽっとあたたまった。図々しく贈り物ショッパーを買って出て、本当に良かった。
セレモニーが一段落すると、� ��びクラスの面々の懐かしいエピソードや、子育て真っ最中の人にとっては興味津々の話題・最近の公立高校事情など、話は四方八方へと散って行く。
ふと、一人が思い出したように言った。「そういえば、昔、男子だけで酒持って(←オイオイ。)先生んちにお邪魔した時、H田センセイがいきなり舟盛り持って現れたのには驚いたよなー」
H田センセイ!
どうして気付かなかったのだろう。ホントだ。H田センセイ、来ていないじゃないか。
センセイ、とは言っても、別に本物の先生ではない。四角い銀縁メガネの奥からちょっとひねくれ気味の両目をのぞかせ、学年一と定評のあった、ダントツの英語力でもって我々を「おぉぉぉぉ~~~~!!!」を圧倒しまくっていた、あのH田センセイだ。
「そんなの、驚か� �いよーん。」「甘いねっ!」「まだまだっ!」
...皮肉たっぷりのあの口調、今もはっきりと覚えている。どんなに激しく人を笑わせても、顔の筋肉は微動だにさせない。高校生にして、彼は既に英国流ブラックユーモアを完璧に体得していた。単なる語学オタクのガリ勉とは一線を画す、スゴイ奴。誰もがそう認めていた。
今、ようやくわかったのだが、H田センセイはこの日の主役・担任のN先生と多分にキャラが重なっていた。「ポーカーフェイスで、しれっと一発面白いギャグをかます」ことにかけて、彼の右に出る生徒はいなかった。見かけこそ全く違っていたものの、お二人の個性は非常に近い位置にあったように思う。
H田君が「センセイ」と呼ばれていたのも、もしかしたらそんな「N先生の一番弟子」っぽ� �部分をみんなが感じ取っていたからなのかもしれない。
「そーなんだよなぁ...。俺、冗談で、あいつに『おい、お前、うちに来る時は何か美味いもん持ってこいよ!』なんて言ったら、本当に親(寿司屋)に舟盛り作らせてやって来たんだよー!あれには、びっくりしたなぁ~...。」
N先生の目が、懐かしそうに遠くの方へと泳いだ。
一年ちょっと前までアメリカで十数年暮らし、旧3-B・男性陣の近況に関してはてんで疎かった私は、思い切って尋ねてみた。
「ねぇ、H田センセイって、今どうしてるの?」
一瞬、空気が固まった。
沈黙の後、私に同窓会のお知らせメールを転送してくれたY子さんが、恐る恐る口を開いた。
「...べーやん、ひょっとして知らなかった?...H田センセイ、 数年前に自殺したんだよ。」
(真っ直ぐに正門へと続く坂道の両脇を埋め尽くしていた、あの桜だね...。)
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2012.04.14 |
お勧め☆文庫屋「大関」さんの 文庫サイズブックカバー(他、なんでも) | [ 最近のニュースより ] |
下の写真は、文庫本サイズのブックカバーです。どうです。素敵でしょ?私は、日本に行った時に「文庫手帳」「文庫本サイズノート」を何冊か仕入れて来ては、このカバーをかぶせ、ちょっとした覚書ノートとして枕元に置いています。
文庫サイズブックカバー |
前回ご紹介した精神科医のジュディス・オルロフ博士のお勧めに従い、印象的な夢を見たとき、ガバッ!と跳ね起きて、すぐに筋書きを記録できるように...と思ったのですがね。残念ながら元々夢をあまり覚えている方ではなく、「夢日記」としてはほとんど機能していません。で、単なる備忘録のようなごった煮帳になってしまっています。
一つ一つが職人さんの手によって丁寧に彩色されているんですね。正真正銘のMade in Japan、それも東京はスカイツリーのお膝元・墨田区産ですよ!ビバ、地場産業っ
私が文庫革のコレクションをささやかに始めたのは、今から7~8年前のこと。当時は、注文の際に店長さんとメールのやり取りを楽しんだり、と、お店全体にどこかのんびりとした空気が漂っていたような気がします。今ほどネットショッピングが盛んでなかった、というのも一因かもしれませんね。
あの頃は、お店の品揃えも今と比べてググッと充実していました。(←ごめんなさいね~、でも、これは事実なので書いても差し支えないでしょう。)なので、「どーれーにしようかなぁ~...。」と、柄と柄の間であれこれ目移りしちゃって、選ぶのも一苦労、という嬉しい悩みもありました。
...というか、毎回、悩みに悩んでまし� �(笑)。うわ、贅沢。
で、気が付いたら、お財布、小銭入れ、印鑑ケース×2、文庫本カバー(前出)、携帯電話ストラップ、そして義母や他の年配女性への贈り物...と、結構たくさん買っていたのですね。(もっと欲しいところを必死に鋼のような意志でもって抑えていた、というのが正直なところ。)
月日はあっという間に流れ、私の知らないところで文庫屋「大関」さんは、いつのまにかじわじわと人気を上げていたようです。今では、楽天市場のショップ上で「在庫有り」の商品を探す方が難しくなってしまいましたねー。もはや宝探しの域に達した感すらあります(笑)。
特に、渋めの、どちらかと言うと男性向きかな?って感じのマイナーな和風柄は、一度品切れになると、その後再入荷する望みはほとん� ��ゼロに近くなってしまいました。
かぎ縞、
横波、
巴...。
お父さん世代へのプレゼントに使える!と、狙っていたのですが...一向に戻ってくる気配が無くって、残念です。(実際の柄はぜひショップのHPでご覧になってみてください。)
前から応援していたお店が世間からの注目を集めて、どんどん人気が高まっていく。
嬉しいような、ちょっぴりさみしいような...ですね。
でも、「良い物はみんなだって大好き!」なのですから、まぁ、喜ばなければいけませんね。みんなにどんどん教えてあげて、商売繁盛のお手伝いをする方が、お店のためにも、そして私達みんなのためにも結局はプラスになるはずです。内緒にしておきたい気持ちは山々ですが、ここはいっちょ、拡散作戦で行きましょう。
3月末には浅草・浅草寺へと続く仲見世裏の、少し入ったところに実店舗もオープンしたとのこと。遅ればせながらではありますが、おめでとうございます
あ~、仲見世・亀屋さんのおいし~い人形焼が食べたいよぉぉぉ!!!おじさんが実演販売して、ぷうぅぅ~んと香ばしいにおいを放出している、あの角っこのお店です。
浅草名物� ��人形焼のお店は他にもいっぱいありますが、皮とアンコとの両方に「いい味出してるわぁ...」とうっとりできるのは、やはり亀屋さん、かなあ。駅売店やスーパーの人形焼しか食べたことない方には、一度亀屋を試してごらんよ!と言いたいですね。ホカホカの焼き立てを袋に入れてもらい、家に持ち帰って食べる瞬間のシアワセ、ここアメリカでは夢見ることしかできませんが...。
話を文庫屋「大関」さんに戻して、と。
日本人だけでなく、海外からのお客様にもこの素敵な文庫革を知っていただければ、一ファンとしてこんな嬉しいことはありません。
こういった江戸の職人技でもって勝負するタイプのお店は、往々にして後継者不足が悩みの種。でも、幸い、大関さんには次々と若い女性の職人さんが� ��生しつつあるそうです。わかります!だって、一つ実物を手にしてしまったら、「もっと欲し~い!」とヨクバリ心が湧いてきますし、物作りが得意な方だったら、多分、「私、自分で作りた~い!」という気持ちが生まれるのは、ごく自然な流れだと思うのです。
そうです。もっともっとたくさんの若い人たちが「大関」の製品に出会い、職人として修行を積んでいってくれれば、お店に並ぶ商品も少しずつ増えていくはず。というか、増えていって欲しいな~、と、切に願います。
だって、誰かに文庫革の小物をプレゼントしたくなった時に、在庫が無いから諦めなくっちゃいけない、っていうのは、あまりにも悔しいですもの...。実は、私も一つ、好きな柄(錦紗・青)のメガネケースがずう~っと欲しくて時々チェ ックしているんですけど...いつも品切れなんです。たとえ入荷したとしても、多分誰かが目ざとく見つけて即座に買ってしまうのかもしれません。
商品違いですが、色・柄のご参考までに...。イスラムの装飾芸術を思わせるような、オリエンタルな雰囲気が素敵なパターンです。もう、全色(青・緑・紫・ピンク)揃えたい~!
文庫屋「大関」さん、他にも素敵な柄がたくさんありますので、よろしかったら覗いてみてくださいね。次に機会があれば、こんな柄のお財布に挑戦してみてもいいな~、なんて、またしても夢(=物欲)が膨らみますな~。危険があぶないわ。(←このフレーズ、出典ご存知の方がいらっしゃいましたらお知らせください!)
お母様、おばあ様、その他大切なあの方へのプレゼントにいかがですか。
もちろん、ご自分へのご褒美にするのもいいですね (注意:多分、一つ買っただけでは済まなくなりますので、ほんの少しの自制心をお忘れなく...。)
軽質ナフサを使用しているもの
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2012.04.07 |
脱・感情スポンジな私!~他人のネガティブな気持ちをブロックする~【Part 1】~英語版WikiHowより~ | [ エネルギー精神科医ジュディス・オルロフ ] |
またまた英語版WikiHowからの著作権・翻訳権フリー♪な記事を何回かに分けて翻訳・掲載していこうと思います。
【2012.04.07 14:00 JST 訂正...「著作権フリー」なわけないですよね!失礼しました。非商用目的での使用・引用・シェア・加工(翻訳含む)がOK、ということです。】
今回はすっごく嬉しいんですよ。窓の外に広がる4月の青空のように、澄み切った心持ちで取り組んでおります!
だって、私の大好きな著者の一人である、精神科医ジュディス・オルロフ先生の手による記事をご紹介できるのですから!
ジュディス・オルロフ博士についての詳しい紹介は、過去記事をご参照くださいね。
「エモーショナル・ヴァンパイア」についての啓蒙活動を本ブログの一つの柱としたい私としては、今後も先生を積極的に応援していくつもりです。心理学者・アルバート・バーンスタイン博士と並ぶ、「心の吸血鬼」業界の世界的権威(笑� �ですからね。
現在はUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の医学部で臨床准教授を務める傍ら、患者さんの診療、執筆、講演・ワークショップ...など、ますますお忙しい毎日を過ごしていらっしゃいます。Facebook情報によると、この数ヶ月は次のご本に取り組んでいらっしゃるようです。楽しみ!
最新刊の"Emotional Freedom"の翻訳は残念ながら未刊です。出てくれれば嬉しいのですがね...。過去の著作が次々と絶版になっていくような現状(翻訳書全般に共通する傾向ですが。)では、なかなか難しいかもしれません。
なので、できる限り、このような翻訳権フリーの良質記事を探し出して、少しでも多くご紹介できるよう頑張ります!ご意見・ご指摘その他ありましたら、気軽にメール/コメントをお寄せくださいね。
では、新シリーズ、始めるとしますか。
【脱・感情スポンジな私!~他人のネガティブな気持ちをブロックする~】
(How to Stop Absorbing Other People's Emotions)
(...すみません。英語オンリーです。)
~前書き~
感情とは、エネルギーである。恐れ、怒り、いらだち、無気力。これらもまた、エネルギーである。
ひょっとしたら、あなたは知らず知らずのうちに他人からこうした負のエネルギーを「受け取って」しまっているかもしれない。
他人の気持ちを吸い取って、自分の中に取り入れてしまう。あなたには、そんな【感情スポンジ】の傾向は無いだろうか。
ある、と気付いたからには、ぜひとも適切な防御策を学んでもらいたい。そうすれば、誰かがネガティブな感情を抱いたとしても、うまく避けられるし、また、人が大勢集まる場所にウヨウヨと漂う、あのイヤ~な感じにも影響されることなく、無事でいられるのだ 。
また、これとは別に、慢性的な疲労、抑うつ状態、ストレスにより防衛機能が低下していき、その結果【感情スポンジ】と化してしまう人もいる。ある時を境にして、他人の気持ち、特に自分と似たような苦しみを抱えている人の気持ちに寄り添い、同調し過ぎる、という状態になってしまうのだ。これが「感情移入」である。自分の中でまだ未解決の、触れられると痛いような事柄に思わずズーム・イン!してしまう、そういう心のはたらきである。
エネルギーの観点からこうした現象を見ると、ネガティブな感情は、その起源により三つのタイプに分類される。まず、元々自分の中にあった、という自分起源の感情。次に、他の人からもらってしまった、他人起源の感情。そして、その両者が混ざり合った感情。
今回� ��、そうした異なる感情の見分け方をご紹介しよう。また、元々自分のものでも何でもない、あのイヤ~な気持ちを一人抱えて悩まなくて済むように、ポジティブな感情をがっちりと強化していくための戦術もお教えしよう。
【脱!感情スポンジ】を目指すための8か条
1.他人の感情に影響されやすいか、自己判定しよう。
まず、自分が他人の気持ちに影響されやすいかどうかを見極めよう。周囲のネガティブなエネルギーに影響されて、最も圧倒されてしまいがちなタイプの代表格が「エンパス」と呼ばれる人々だ。(*注1)【感情スポンジ】を地で行く人々、それがこの「エンパス」タイプである。下の記述が自分に当てはまると感じたら、あなたも「エンパス」かもしれない。
☆ 人から「敏感過ぎる」「繊細過ぎる」と言われる。それも、褒め言葉ではなく。
☆ 自分以外の人が感じている恐れ、不安、ストレスをキャッチし、それを自分の身体に取り込み、「これは私自身の肉体的苦痛や症状なんだな。」とみなす。取り込み先は、知らない人や好きでない人ばかりとは限らない。友達、家族、職場の同僚の感じていることから影響を受ける場合もある。
☆ 人混みの中では、すぐに疲れてへとへとになり、気分が優れなくなる。
☆ 騒音、臭い、絶え間ないおしゃべりに接すると、不安な気持ちがかき立てられる。
☆ エネルギーを充電するためには、一人の時間が必要だ。
☆ 自分の気持ちを理性でもって説明するようなことは、あまりやらない。傷付きやすい心の持ち主だ。
� �� 生まれつき気前が良く、寛大で、スピリチュアルな分野に関心が深い。聞き上手である。
☆ 集まりやイベントの時には、脱け出すための「足」を確保しておく方だ。帰りたくなった時にいつでもサッと消えることができるよう、会場には自分の車で行く、など。
【黒犬べーやん記す:誰かに乗っけてってもらったりすると、
その車の持ち主が「帰ろう」と言うまでは、ひたすら「忍」の一字
で待ち続けなければいけませんよね...。】
☆ 一対一の親密な関係には、息が詰まるような感じを覚える。もしくは、自分が無くなってしまうかのような感じがする。 (この項、続く)
This work is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.
【*注1:「エンパス(empath)」は、ジュディス・オルロフ博士の著作の中でも最も重要なキーワードの一つです。簡単に言うと「共感能力の高い人」ですね。
でも、「相手の気持ちに優しく寄り添う」と、もっぱら良い意味で使われる日本語の「共感」では、「善も悪もまとめて全部吸い込んじゃうスポンジ=エンパス」の語感は表し尽くせません。訳者の方が敢えてカタカナで「エンパス」と表記したのも、そうした事情を踏まえてのことなのでしょう。
以下、「ポジティブ・エネルギー」から引用します。
「私は子どもの頃、ポジティブであれネガティブであれ他人の感情に同調しすぎ、いつの間にかそれを取り込んでしまうのが常だった。
苦しんでいる人に心を寄せるというのは通常の共感だ。しかし、相� ��の苦しみを文字通り自分の中に取り込んでしまう他人をエンパスという。
友人が不安に駆られていたり肉体的な苦痛を感じていると、相手の不快感が伝わり、体に取り付いてしまうのだ。」
(ジュディス・オルロフ「ポジティブ・エネルギー」矢鋪紀子 訳、サンマーク出版、2006、p.32)
オルロフ先生は、ビートルズの活動後期(長髪・TM瞑想・ドラッグ...)にあたる、1960年代後半に多感な十代を過ごされました。
あまりにも吸引力抜群なご自身の「感情スポンジ」を持て余し、医者である母親に相談したものの、「面の皮が薄すぎるのよ(笑)」と、軽くあしらわれる始末。ジュディスは悩みに悩みます。
週末の混雑したモールをぶらつくのが大好きな同級生とは逆に、喧騒や人ごみを避けて引きこもって� ��たり、ドラッグで感覚を麻痺させてみたり、と、過敏過ぎる自分との折り合いを付けたくって、色々と試行錯誤されたんですね。
結局、治療を受けていたセラピストに勧められ、オルロフ先生はUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で超能力や直観を研究するグループと接触する機会を得て、その後しばらく被験者として出入りするようになります。これがきっかけとなって、先生は新たな活路を見出します。
誰にも理解してもらえず、生き辛いことばかりの「エンパス」であった自分が嫌でたまらなかった彼女。ところが、UCLAの心理学者によると、「エンパス」は卓越した直観力の持ち主として、高く評価されてしかるべき存在でした。この啓示により、どん底レベルにまで落ちていた自尊心を取り戻したオルロフ先生� ��、その後ゆっくりと精神医学の領域へと導かれていきます。
もっとも、彼女の場合、「直観」というよりはむしろ、「霊能力」と呼ぶのが正しいかもしれませんね。オルロフ先生の背後には、表向きは薬屋のおばさん、実は心霊治療者(サイキックヒーラー)として、地元フィラデルフィアのユダヤ系住民の間ではちょっとした有名人であった祖母、その血を徹底的に嫌って西洋医学の道を選んだ母、そして叔母や姪たち、といった母系親族の女性達が遺伝的にサイキックだった---という隠された家族の歴史もありました。
そう。これは、彼女が後に一人前の精神科医として独立開業した頃、病に倒れた医師の母親が死の床でようやく娘に明かした「一族の秘密」だったのです。ここの場面、そしてそれに続く母親の最期を描い た場面は、ジュディス・オルロフ先生自らが朗読するオーディオ版で何度も聞いていますが、その度に心揺さぶられ、じぃ~ん...と目がうるんでしまいます。
オルロフ先生の半生記でもある「スピリチュアル・パワーアップ・レッスン」(原題:Second Sight...第二の視力...)、ヘタな小説(フィクション)よりもはるかに面白いです。息つく隙も無く、ページを次々とめくってしまいます。
もちろん、直観や霊能力と精神医療との融合、という、オルロフ先生のライフワークに興味がある方にも、必ずや満足していただけること請け合いです!
幸せになる第六感の磨き方 スピリチュアル・パワーアップ・レッスン
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2012.03.29 |
「『本を読むこと』は、まず運動神経」(安野光雅) | |
その昔、私は世間の皆さんと比べて、いささか長めに「学生」をやっておりました。
今は、ごくありふれた日本人家庭のおか~さん・兼・送迎運転手@米西海岸、そんなところです。ま、自分としてはそれよりも自称・素人心理研究家+精神世界のワンダラ~、という側面の方が中核部を占めているような気がしますけれど...。
元々がボヘミアン気質とでも言いましょうか(←物は言いよう...。)、大雑把で、束縛を嫌う人間です。
なので、
「長い文章を、理路整然と、業界のフォーマットにきちっと沿うような形で書ける」
という能力 の持ち主には、無条件に敬礼!!!したくなります。そうした能力を(努力の末に、もしくは優れた遺伝子の助けによって)獲得した方って、純粋に素晴らしい!!!あんたはエライ!!!...と思います。大真面目に。
この際だから、はっきり言ってしまいましょう。
私、ずーーーっと長い事、
「学術論文をまともに書ける人」になりたかったのです。
今でもたま~に、いつかそうなれたら嬉しいなぁ~...なんて、ちょっと未練がましく思うことがあります。その頻度は徐々に減りつつありますけどね。(年のせいか?)
いわゆる「エッセイ風」の駄文、くだらない感想文、それから日記に手紙文...といった類の、フォーマットにはまらない、無手勝流な文章はいっくらでも長々と続けられます。いくらでも。
でも、【学術論文】となると、どういうわけなのか、身体も脳味噌も硬直化してしまい、筆が一向に進まない。金縛りにあったような、という表現そのものの状態に陥るのでした。
推測するに、私はきっと、前世のどこか(ヨーロッパ圏内希望 )で学者業をやっていて、くどくどと余計なことを細かく書き過ぎたため、当時の為政者や教会の上層部などの怒りに触れてしまい、それが原因で命を落とすようなことがあったんじゃないでしょうか(笑)。
...そんな前世をでっち上げたくなる程、あの頃の私は「理詰めで書く」&「他の人が書いた、面白くもない先行論文・先行研究をコツコツと満遍なく読む」ことが大嫌いでした。
【あのー、これ、研究者の卵としては、言語道断!あり得ない!なんですけど~。】
でも、論文の締切日を前にして、学生仲間のみんながそうした金縛り体験をするか??? と言うと、勿論、そんなことは決してありません。だって、「長々と学生やりたがる連中」っていうのは、元々論文を書くという作業がちっとも苦にならない、� ��んな人が大部分ですから。
(持てる能力や適性を無視して、分不相応な世界に入り込もうとした当時の私は、傲慢と劣等感のカタマリでした。天は、「金縛り」という形でもって、そんな私の生き方に警告を発していたのですね。今だからわかります。)
友人の中でも、特に秀才の誉れが高かった一人(英語圏出身)は、こう言っていました。
「締め切りが近付くと、論文執筆のために揃えたこっちの研究書、あっちの論文が段々と憎たらしくなってくる。そして、『よくもここまでつまらない文章で、自分の時間を盗んでくれたなっ!何としても、仕返ししてやらねば、この怒り、治まらないっ!!!』...といった具合に、徐々に自分を奮い立たせていく。
【←うぅむ...これって、試合開始前、戦闘意欲を徐々に高� ��ていくボクサーのようですね。】
先行研究? うん、もちろん、自分の専門分野の【権威】と言われるような学者の仕事には満遍なく目を通すよ。だって、『えい!これでもか!これでもかっ!』と、自分なりの論旨展開でもって、その【権威】の言い分をバッサバッサと切り捨てるのが痛快だからね。」
これを聞いた時、「私には全くあり得ない発想だぁ...。」と、ただ、ただ、驚くことしかできませんでした。【権威】と呼ばれる人に、一矢を報いるのが痛快、とはねぇ...。
それに引き換え、つまらない論文や本は「不都合な真実☆」と軽視し、期限ギリギリまで接触を先延ばしにしようと試みる(←それがマズイんだってば!!!)私・黒犬べーやん...。
要するに、「学者」「研究者」という仕事に� ��、少しも向いていなかったのです。大学卒業後の進路を決める時、
「好きな本がたくさん読めて、それをきっかけとして色々な人と語り合えることができるような、そんな仕事がしたい。」
で、出した結論。「大学の先生がいいんじゃない?」...このお目出度さ加減には、父ちゃん情けなくって涙出てくるわ(←あばれはっちゃくの東野英心さん風で)。
前回書いた通り、
「長文をガンガン読めるようになると、いいことがいっぱいある!」
この信念は変えるつもりはないです。実際、私の人生にもいいこといっぱいありましたし。
でも、「長文を多読できる能力 イコール 知力が高い」
の図式は、必ずしも成り立たないですよね。それは強調しておかねばなりません。
だって、ロマンス小説が大好きで、月に二十冊は軽く読んじゃう、というその辺のおばちゃんが「知力高い」とは、誰も思わないでしょ?量を読めばいい、ってものでもないのです。読み物の質はちゃんと選ばないといけません。
「詩人のひらめき的知性」と呼ばれる、知性のはたらき...。こちらだって、世界の歴史・日本の歴史を広く見回してみると、随分多くの貢献を果たしてきました。芸術、特に短めの詩歌などは、こうした知性無しでは生き延びてこられなかったでしょう。
そう。知性にも、いろいろな形があるのです。一概に、「こっちが上!」とは言えませんよね。
そうは言っても、【詩人のひらめき的知性】だけではど~にもこ~にも勝負できない、そういう分野は、現代社会に数多く存在します。これは� ��然たる事実です。残念ながら。
学問・研究の世界はまずその典型ですね。国際間の政治や、ビジネス上の駆け引きも、また然り。言葉の力でもって相手をねじ伏せることができない人は、「敗者」となります。
将来、海外へ飛び出して、現地の学生に混じって専門的な勉強をしたいと思っている方。そういう若い方ならば、外国語でもって読み、書き、意見を戦わせる力は、その後の全人生を左右すると言っても過言ではありません。
少しでもそうした進路に進む可能性のある人(今後、大量に出てくると思います。)には、、
「できるだけ若いうちから、長文を大量に読みこなせるだけの力を付けておいたほうがいいよ。まずは日本語の本で基礎体力作りをしておこうね。外国語はその後で!」
って、言葉をか けるでしょうね。
もし、自分はあまりそういった事が得意でない、と気付いても、それはそれ。あなたには恐らく他に得意なことがあるでしょう?そちらにエネルギーも、時間も、傾ければいいだけのことです。【長文読解+論理的思考+長文執筆】の陣営とは全く反対の方向で、自分の才能を見つけましょうよ。
私みたいに、いつまでもウジウジと「あれもできなかった、これもできなかった...。」なんて引きずるなんて、ナンセンスです。悩んでいる暇があったら、他に自分には何ができるどうか、それを積極的に探した方がいいんじゃないでしょうか。「書を捨てよ、町へ出よう」と言い切った寺山修司は偉大だわ(笑)。さすが詩人。
さて。タイトルに掲げておいて、ここまで引っ張るか~!?(笑)と思うので� �が、そろそろ出すとしましょう。
元・小学校の図工の先生(しかも数学大好き!)でもあった、画家の安野光雅さんが、面白いことをおっしゃっていたので、それを最後に紹介したいと思います。
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【親子で愛読しているシリーズです。親戚の子ども達にもプレゼントしました。】
対談の相手は、教え子であり、数学者でもあり、故・新田次郎&藤原てい夫妻の(二人とも作家)ご子息でもある、藤原正彦さんです。
再利用可能なスプレー缶
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「安野 むかし教員をやっていた頃、ローマ字の教科書があって、私にはすらすら読めないし、こんなものやらない方がいいと思っていました。それなのに、子ども達はなんと、ローマ字で印刷したものを、平仮名を読むのと同じ速さですらすらと読むんです。
『本を読む』ということは、まず運動神経なんだな、とつくづく思いました。
小学生のような柔軟な時代に、目の運動神経で文字を早く、いっぺんにパッと読めるように慣れていくということが大事ですね。慣れていない子は一字一字読むから遅いんです。でも慣れれば日に日に、どんどん早くなっていきます。」
(安野光雅・藤原正彦「世にも美しい日本語入門」、ちくまプリマー新書、2006、p.28.)
...この一節で、パッと目の前の霧が晴れたような気がしました。
運動神経!
そうか!アメリカで、「読め、読め、読め!」をさかんに推奨する先生方は、そうした「読書は運動神経」という説の信奉者だったのですね。な~るほど!
それから、少し後に登場する藤原先生の発言には、まさに「我が意を得たり」の思いでした。
「藤原 私が安野先生に教わったのは昭和二十年代末ですが、はるかに[黒犬べーやん注:小学校の国語の時間数が]多かったですね。国語が二時間ある日もありました。いまは二十年前の一九八〇年に比べても半分です。このように急坂を落ちるように減っています。
それに伴って思� �力も落ちていく。情緒力も落ちていく。そのうちに人を深く愛すことすらもできなくなってしまうのではないでしょうか。それくらい落ちてきています。(...)」
(前掲書、p.31)
「ちくまプリマー新書」は、基本的に中・高生を読者層と考えているようですが、むしろこれは大人の方、特に子どもと関わる機会の多い方にこそ、ぜひ、読んでいただきたいですね。
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2012.03.23 |
長文アレルギー寸前の日本 vs 読みまくれ!書きまくれ!のアメリカ | |
気になったのは、文章について寄せられた否定的なコメントの多さです。
「長過ぎる」(←同様意見、圧倒的多数)
「読みにくい」
「だらだらとまとまりがなく、何を言いたいのかわからない」
これ程にまでボコボコに叩かれた元記事、どうにかしてリンク貼りたい、と、昨夜頑張って探したのですが、残念ながら見つかりませんでした。ちなみに、原文が掲載されていたのはこちらのウェブメディアです。(BizMedia 誠)
文章長めになりがちな人間としては、この日本人読者からの否定的な反応は見逃せないな、と思いました。
なぜ、その記事があそこまで「長過ぎる」と叩かれたのか。理由を勝手に推測します。
1.ネット上でニュースを仕入れる人の多くが、携帯電話やスマートフォンなどの
「小さな画面」上で字面を追っている。なので、物理的に長い文章だと読みにくい。
2.たまたまこの記事を読んだ人の中に、ツイッターや携帯メールの短さに慣れて
しまった「アンチ長文派」が突出して多かった。一方、「長文OK派」の人たちは、
特にコメントする必要も感じることなく、そのままスルーか、ざっと流し読みしてから
他のページへと移っていった。
3. そもそも記事を書いた人に、物書きのプロフェッショナルを自称するだけの
文章力が備わっていなかった。
まず、仮説1。おそらくは、この立場が圧倒的多数なのでしょう。
先日、横浜の義母が「電車に乗っても、携帯電話でピコピコしている人ばかり。珍しく本や雑誌を手にしている人がいても、顔見ると大抵は年の行った人ね~。」と嘆いていました。
でも、そのようなご時勢だからと言って、ウェブマガジンの作り手に対し、携帯端末やスマートフォンで読み易い「短文のみ+短い記事」を書け!と要求するのは、ちょっと違うんじゃないかなぁ、って気がします。
仮説2.についても、「イヤなら、読まなきゃいいじゃないか。」を実践していない人がたまたま多かった、というだけのことだと思います。何か私生活でムシャクシャする場面が続いて、ちょっと毒づいてみたかった� ��かもしれません。
仮説3.については...原文が見つからないので、詳しくコメントはできませんけれど。でも、「ちょっと冗長だけれど、別にそこまで叩かれる程ひどくはない」と、私は感じました。(ガラスの家に住む者は石を投げてはいけない...って奴ですよ。アハッ☆)
【送料無料】グラス・ハウス
(↑私は70年代の「ニューヨーク52番街」以前の、ビリー・ジョエルの作品群が好きなので、ロック調に走ったこの一枚は「微妙...」かな。やはり彼にはピアノマンでいて欲しい!)
一番心配になったのは、
「ひょっとしたら日本人は、若い世代から順番に
【長文アレルギー思考拒否状態】
へと緩やかに下降しつつあるのかも。」
ということです。
まさかそ� �な、と笑い飛ばせればいいんですけど...でも、アメリカの、そこそこ裕福で教育熱心な地域に暮らし、現地小学校での教育事情を目の当たりにしてしまうと、どうしても不安になってしまいます。
うちの小学生の子供、ESL(第二外国語としての英語)のクラスに籍を置きながらも、ようやく学年の他の子が読むような物語本をスラスラと読みこなせるようになってきました。
それに伴い、親である私も、英語で子供達とやり取りしてもそろそろ大丈夫かな、と図々しくなってきましてね。で、昨年9月の新学期からは週一でスペリング小テストのお手伝いをしています。コピー取りや、絵画の掲示など、裏方仕事から勇気出してのカミングアウトです。
毎週水曜日、朝8時半の始業時から、多い時で2時間近くの間、教室と コピー室とを往復して、仕事が一段落したら、スーッと帰ります。そんな中、徐々に見えてきたことは、
「アメリカの教育は、読書に始まり、読書に終わる。」ということ。
とにかく「読め!読め!読め!」と、多読を推奨されて育つんですね。
それも、日本流にクラスで「いっせーの、せ!」と、一つのテキストを読む、わけじゃないのです。
「全員が同じ国語の教科書をちんたらちんたら繰り返し読み、『主人公の気持ちは~』なんてしょーもない問いに、無難な答えで返す。それから、各段落の最初に番号なんか振ったり、『それ』が指すものは何か、の答に傍線引いたりしたりする。」...これが、日本流。
いや~、頭では「アメリカの(大)学生は大量に本を読まされる」とわかっていたものの、まさか小学校の段階からこれ程徹底して「読め、読め、読みまくれぇっ!」の教育を行っているとは。物凄いカルチャーショックですよ。
毎朝、子供達は好きな本を一冊選び、始業後すぐに始まる"Reading"の枠内にガンガン読みまくります。担任の先生が(時に� ��腹を切って)揃えた学級文庫の棚から取ってくるのも良し。はたまた、週に1~2回巡ってくる「図書館」の時間中に借りてきた本をロッカーに入れておいて、それを読むのも良し、です。
これが午前中に約1~2時間程。時々おしゃべりも出ますが、大半の子は夢中になって読みふけっています。自分で選んだ本、っていうのがポイントでしょう。男の子だと、ポケモンやスターウォーズのノベライズ版を選ぶ子もいるのですが、先生は特に何もおっしゃいません。好きに読ませます。週5日間、毎日それの繰り返しです。
読むスピードの速い子だと、一日の授業時間内で薄いペーパーバックの物語本一冊は軽く終わらせたりします。うちの子の学年(中学年)だと、最近日本でも映画が公開された「マジックツリーハウス」など� �、朝読み始めて、下校時までに読破!というレベルの子がざらにいますね。それで物足りない子は、更に分厚く、難易度の高い本へと挑戦していきます。
生徒が読書にいそしんでいる間、担任の先生は生徒一人、もしくは数人のグループを教室傍のコンピュータコーナーに呼び出し、個々の習熟度に合わせた読解テストをパソコンで解かせます。隣同士の子といえど、一人は説明文、もう一人は物語文、と、全く違う問題に取り組んでいることは珍しくないです。バラバラです。
週に何回か、私のような保護者ボランティアがやって来ては、ミニ読書会といった趣のグループを指導することもあります。こちらのボランティア(英語ネイティブの人が大半ですが)は、先生の指令を受け、学力レベルの近い子達を5~6人のグル� ��プにまとめ、廊下へと連れ出します。そして、そこに備え付けてある円卓を囲んで、ちょっとしたディスカッションを繰り広げます。
クラス全体での一斉授業ではなく、小人数で全員が意見を述べ合う訓練を、低学年のうちから始める。この辺はいかにもアメリカだな~、と、感心させられました。
とにかく、小学生の時から「本をガンガン読みまくれ!」なんですよ。ここの教育は。
でも、これって、きわめて優れた教育法だと思いませんか?
大体、読むことが楽しい、本が大好き、っていう気持ちって、多読・乱読によってしか培われないと思うのです。ある程度の数をこなさないと、本当に「これだ!」と、好みのツボにドンピシャリとはまるような(自分にとっての)大傑作には出会えないのではないでしょ� ��か。
こうして読書能力を高めた子供は...
☆ 長文を恐れないようになる。速読・多読が得意なので、情報処理能力も高くなる。
☆ 将来、大学へ進学しても、あのアメリカ特有の電話帳並みに分厚い、ハードカバーの教科書をガンガンと読み進めていくことができる。
☆ 色々な方向に興味のアンテナを張って、ピピッと適切に反応することが
できるので、「無趣味」「無教養」「無感動」の三無地獄にはまりにくい。
...そして、何といってもこれが一番大きなメリットだと思うのですが、
☆「長文を読む力」/「長文を理解する力」
=「長文を書く力」につながる。
うちの夫と良く話すのですが、アメリカ人にはとにかく「よく書く」「長い文章を書きまくるのが全然苦にならない人が多い」、といった印象があります。理系人間だらけの職場の同僚にしてもその傾向は強いそうです。
また、ネット上を見回してみても、同じテーマを扱った日本人の文章と比べて、一定以上の教養を身に付けたアメリカ人の書く文章は、分量も多く、内容も濃い場合が多い、と感じます。情報がいっぱい詰まっていて、読んだ後に「お得感」がありますねー。(←まぁ、アメリカ人と言っても、教養レベルはピンキリですがね~。)
彼ら、読み手に対しての
「これだけは伝えたい!」
「自分の主張を理解させたい!」
という欲求が日本人と比べて格段に強いんでしょうね。それが西洋流教育の目指すところなのでしょう。日本人だと、そこまで押しが強い書き手は逆に敬遠され、あまりウケないかもしれません。
まぁ、この辺はギリシャ・ローマから脈々と流れる西洋哲学・論理学の伝統に負う部分が大きいのだと思います。そっち方面の話はあんまり得意じゃないので、深入りはやめましょう。。
...でも、アメリカの学校、教育、全てがバラ色!などと言うつもりは 毛頭 ありません。
例えば、学校給食。水準の低さでは有名ですよね。残念ながら、折からの不況→税収の低下→教育予算削減の流れは依然として強く、一向に改善の兆しは見えてきません。
経営再建中につき経費削� ��しまくり~、のエアラインで出される機内食レベル...と書けば、雰囲気が伝わるでしょうか。
(ご飯党のうちの子は数回食べてギブアップしました。以来、毎日弁当持参です。)
百聞は一見にしかず。まずは下の動画でお確かめください。メディアでの報道を信じるならば、これでもごく標準的なレベルみたいです。
そう。アメリカの学校にだって、問題はたくさんありますよ。当たり前ですが。
それでも「読む力を養う教育」に関しては、残念ながら日本、完敗...じゃないでしょうかねえ。少なくとも、日本式の読ませる教育があまり効果を挙げているようにはとても思えないのです。
これ以上、若い世代の日本人に【長文アレルギー】を増やさないよう、われわれ大人世代もできるだけのことはしていきたいものです。
【読むのヤダ~】 イコール、【考えるのヤダ~】ですからね。
放って置けませんよ。
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2012.03.17 |
「ありえない人」との付き合い方【Part 6】~英語版WikiHowより~ | [ エモーショナル・ヴァンパイア 心の吸血鬼 ] |
【ありえない人々(Impossible People)との付き合い方】
【注意】
くれぐれもあなたの方から「ありえない人」を怒らせないようにしよう。
この手の人は、「癇癪(かんしゃく)なんて起こさない」し、「誰にでもきちんと接する」人との印象で、普段は(当たり前だが。)通っている。 だが、一度その怒りに火が点くと、信じられない程の物凄い勢いで大爆発を起こす。それは事実だ。
あの大爆発に比べれば、あなたがこれまで感じてきたイライラも、もやもやも、実にカワイイもんじゃないか、とすら思えるだろう。もはや理屈なんて通用しない域へと突入、である。
理屈に訴えるのではなく、あなたからは「これは小さい子が起こす癇癪と同じようなものだ」と見方を変えて相手と向き合おう。ただし、その気持ちを向こうに見透かされないよう、うまくやる� ��と。(下手をすると、「あなた、私のことバカにしてるじゃないのっ!」という猛反撃を呼び込んでしまうから。)
こうした対人スキルをサッと使いこなせるようになるためには、ある程度の練習が必要だ。だが、努力するだけの価値はある。
場合によっては、「この人、身体の調子が悪いのだな。」と考えるといいだろう。外からの助け、そして、常に誰かに管理されることを必要とする状態、それが「病」である。こう考えれば、あなた一人で対処しきれないのは、ごく当たり前のことではないか。
【↑「毒になる親」のSusan Forwardさんのロングセラーですが、またもや日本では入手困難ですか...。アメリカでは版を重ねて、「毒親」よりも部数出ているのになあ。】
土壇場での開き直り → 一発形勢逆転! を警戒せよ。
何とか「ありえない人」の方に非がある(それも全面的に)、という確証を突きつけることができたとしても、土壇場に来て一転し、開き直る!という手を使われる恐れがある。
「はい、そうです。悪いのは何もかも私なのです。何をやろうと、どんな状況に置かれようと、とにかく100%私が悪いのです。」と本気で信じ込み、それを口に出すこともためらわない。
これが彼ら特有の対処法だ。背後には、「自分が先に悪者になることで、周囲の人から同情を集めて、その人たちを味方に取り� �んでしまおう。」との意図が見え隠れしている。
「ありえない人」についてあなたがどう思っているか、絶対に誰にも話してはいけない。
あの人からひどい目にあっているんだ~、と、誰かにポロリと漏らしてしまい、たまたまその相手も同じような思いを抱いていた、としよう。その場合、あなたが深く考えもせずに口を滑らせたことが、打ち明けた相手の口からまた漏れて、別の誰かに伝わる、という流れが充分予測できる。
そのうち、話は「ありえない人」の耳にも届く。どんな経路で話が伝わったか、そんなことはどうでもいい。「ありえない人」は、何が何でもあなたのイメージを貶めてやろうと、なりふり構わず反撃に出てくるだろう。発信源=あなた、ということは明らかなのだから。
とはいえ、複数で立ち向かうのが有効な場合もある。
「ありえない人」をどうしても避けられないのであれば、誰かとタッグを組むような形で、共同戦線を張って対処する方がうまく行くかもしれない。一人が今、この瞬間にやっつけなければいけない事に取り組む傍ら、もう一人がちょっと一息つく、といった具合に。
個人情報は漏らさないよう、徹底してガードを!
「ありえない人」は、あなたの私生活についての情報が漏れてくる、その瞬間を狙っている。
あなたを追い詰める切り札として、いざという時に使えるのならばどんな些細なネタだって構わない。ランチの席であなたが口にしたちょっとしたことも、彼らの耳に入れば話をねじ曲げられた後、他の人々(特に、あなた と「ありえない人」両方に近しい人)へ次々と伝わっていく。
他人を操ることにかけては、彼らほどの腕利きスペシャリストはそういない。だから、あなたも「ありえない人」の前だと、つい余計なことをしゃべり過ぎてしまうのだ。
「ありえない人」は、一見、普通っぽく振舞うのが上手だ。あなた自身がちょっとやそっとではびくともしない、確固とした【自分】を持っていて、この人物から漂う、そこはかとないもやもや感に気付いてからも付き合える、と言うのであれば大丈夫だが、さもなければ危ない。
「なんだ、この人、そんなに嫌な人じゃないんだ。それならば、私が今悩んでいることについてちょっと話してもいいかな...。」
これ、大間違いだ。
うっかり犯した過ちは、「よりに� �ってこんな時に...」というタイミングで、再びあなたの身にはね返ってくる。しかも、この上なく卑劣な、腹黒いやり方で。
深夜のオフィスで「ここだけの話なんだけど」と、あなたが「ありえない人」に打ち明けた話が、全社員が見守る中で冷酷非情な分析のメスにさらされていく。「ありえない人」ならば、これぐらいは平気でやる。あなたを踏み倒して上に行きたいから。
ここで、スロットホッパー
「ありえない人」は、自分がどの程度あなたと親しいか、ということや、自分はあなたを一番上手に扱う方法を知っているんだよ、ということを他の人に話したくてたまらないのだ。使える情報とあらば、絶対に見逃しなどしない。
「ありえない人」だけに非がある、との事実を相手に突きつけるのは厳禁。
そんなことをしても、相手からは「違う!」という否定、そして、口を閉ざしておけなかったあなたを逆に責める立てる類の言葉が、山のように返ってくるだけであろう。
(ただし、上に書いたような特別な状況なら、他の人に話すのはOKだ。また、ネット上限定の別名を使って、ブログに書き込むのもいいだろう。)
� �葉以外の、身振りや仕草などにも注意を。
下手に誤解を招かない方がいい。
身体的な接触をする際は、気をつけること。
背中を軽くポン、と触れた程度でも、「ありえない人」の癇に障ることはあるのだ。たとえその人が物腰の柔らかさにかけてはピカイチ、と知られたような人であっても、用心するに越したことはない。
「ありえない人」に、この文章や似たようなアドバイスを見せてはいけない。
「ほら、こんな具合に、あなたにはとても迷惑しているんですよ。」なんて、口が裂けても言わないこと。
何度でもしつこく繰り返そう(そう、繰り返さなければいけない)。そんなことをしても、あの人たちに言う事を聞かせるなんて、無理と言ったら絶対無理、な のだ。
「何とかしてわからせたい」などと、たわけた事を望んでも、結局はまた非難ごうごうの大嵐に見舞われるだけだ。そうなってしまえば、「ありえない人」は一層あなたに対する恨みをつのらせ、二人の仲も泥沼状態へと陥っていく。
*「ありえない」のは、あなた の方ではないのだ。これを忘れずに。
あなた自身が「ありえない人」になっていないだろうか。
ここまで書いてきた付き合い方15か条や、役に立つヒントを実行へと移す前に、一度我が身を振り返ってみよう。さもないと、あなたが自分で自分を傷付けることとなる。
別れる潮時を、うまく見極めよう。
相手との関わり合いで身も心も疲れ切ってしまった。もしくは、突然見境なく激昂する相� �に身の危険を感じていて、身体面こそ無傷ではあるものの、長期間にわたって精神面がダメージを受けているのであれば、その関係は終わりにしよう。
できるだけ早く、実行に移せる準備が整ったら、相手との関係をスッパリと断ち切り、それ以降のやり取りは一切拒否すること。
恐らく、「ありえない人」の方から何度もコンタクトを取ってくるだろう。それを拒否すれば、また各種のハラスメントや中傷の嵐が待ち構えている。あなたの友達にあなたの話を持ちかけては情報を聞き出し、どんな些細な噂話でもあなたが絡んでいればすかさず取り込み、後はやりたい放題、と、色々なことが起こるだろう。
もう一度、この人物に会って話さなきゃいけない。...そんな誘惑に駆られる時もあるだろうが、絶対に負けて はいけない。二度と関わってはだめだ。
共通の友人が「ありえない人」の近況を伝えに来るかもしれない。その時はこう答えよう。「あのね、あの人のことはもう耳にしたくないの。もう終わったことだから。」
This work is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.
ゲシュタルト療法の創始者・フリッツ・パールズの手による「ゲシュタルトの祈り」。
優しい映像と言葉に、ほっと一息つくとしましょう。
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2012.03.10 |
「ありえない人」との付き合い方【Part 5】~英語版WikiHowより~ | [ エモーショナル・ヴァンパイア 心の吸血鬼 ] |
【ありえない人々(Impossible People)との付き合い方】
【役立つヒント】 (前回より続く)
「ありえない人」との経験を通じて、あなたは貴重な人生勉強をさせてもらっている。そのように考えようではないか。
ああいう人たちにさんざん振り回された後では、他の人との付き合いもそれほど難しくはないさ、と感じられるだろう。難易度最高レベルの困ったちゃんの扱い方について無料レッスンを受けられたのも、彼らのおかげだ。
今はしんどいかもしれない。でも、いつかきっと、ここで学んだことを活かせる日はやって来る。
「自分は モラル・ハラスメント(モラハラ)の被害者だ」という事実に真正面から向き合うことで助かる人もいる。
モラル・ハラスメントについて詳しく知りたい人は、このトピックを専門に扱った書籍を参照されたい。
【黒犬べーやん・注】
モラル・ハラスメント(モラハラ)=WikiHow原文の英語はemotional abuse(精神的虐待)。英語圏の用語をそのままカタカナ化することの多い日本ですが、精神的・心理的虐待の訳語としては「モラハラ」がすっかり定着した感があります。フランス人精神科医 マリー・フランス・イルゴイエンヌ女史の手による、これらの本がロングセラーとなったためでしょう。
なぜ邦題が「モラル・ハラスメント」になったのかの経緯については、日本語版訳者の高野優氏による説明をどうぞ。
ちょうど「セクシャル・ハラスメント(セクハラ)」という言い回しが社会に定着してきた、そんな時期(1999年)に上の本が出版されましたね。
この「モラル・ハラスメント」のおかげで、友人の一人が地獄のような日々から解放されました。「絶対読んで!」と言われてから早十年近く...。そろそろ重い腰上げて二冊イッキに大人買いしようかなぁ。
「否定的な注目でもいい。誰からも注目されないよりはましだ!」とでも言わんばかりに、愚かしい行動に出� �人もいる。そんな人に対しても、あなたは優しく、気さくな態度で接してあげよう。
本当は寂しくてたまらない。でも、どうやったらみんなに関心を向けてもらえるのか、やり方がわからない。そういったタイプならば、あなたが示す思いやりを嬉しく思い、自分から変わろうとしてくれるだろう。
一方、他の人を怒らせるのが生きがい、といった、どうしようもない奴がトラブルメーカーの場合、話は別だ。前者の不器用な寂しがり屋さんと同じように、こちらが親切にしてやっても、このタイプには通じない。
それどころか、「ん!? こいつ、なかなか爆発しないな。ちょっと、一体どういうことなんだ、これは!」と、先の展開が読めないことに業を煮やし、ブチ切れするのだ。いずれはあなたに見切りを� �けて、どこかへと立ち去っていくことになるだろう。
あなたにとっては、「愛ある行動」がカギだ。置かれた状況によっては、それは途方もなく困難な選択になるかもしれないけれど。
この手の人たちには、反対意見で返してはいけない。
相手の方が間違っているとわかっていても、何とか「あなたのおっしゃることで合っていますよ」との肯定メッセージで答えてみよう。
例えば、「ありえない人」から「あなた、お金を寄付したんですってね。どうせ人気取りか何かのためにやったんでしょ。」と来たとしよう。あなたはそこで、「そうですね~、そうかもしれないですね~。」と、そのまま流してみるのだ。
常に言い争いの火種を探し回っている「ありえない人」も、あなたから「それ、� �しいかも~。」と肯定されてしまっては、出鼻をくじかれて戦意喪失...となるだろう。
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(↑この二冊、著者がドイツの人ということで、アメリカ在住の私はつい最近まで知りませんでした。今、ものすごく気になっています!合気道のテクニックからヒントを得た言い返し方なんですって。面白そう~!
アメリカの「困った人対策本」同様、日本人がそのまま取り入れるのには難しい部分もあるのでしょうが、ぜひ読んでみたいです。あぁ、円高なのに欲しい本が次から次へと...。)
「ありえない人」を、あなたの生活圏内から締め出してしまうこと。
これが一番健全な対処の仕方だ。
何といっても、これに勝る方策は無い。あなたを メチャクチャにするような人物との関係を長引かせることで、これ以上自分をいじめるのは止めにしよう。我慢をしないことだ。あなたはもっと良い目にあってしかるべき人なのだから。
この人物を「直す」ことは不可能だ、ということをくれぐれもお忘れなく。
「ありえない人」から手ひどく扱われたり、誹謗・中傷攻撃を受ければ、他の人も次第にあなたに同情を寄せ始めることだろう。
あなたの方からは何一つ行動を起こす必要はない。あなたが全く手を下さなくとも、「ありえない人」は自らの墓穴を掘ることになる。醜態を目の当たりにすれば、周りの人々だって良くは思わないようになるだろう。
たとえ「ありえない人」の怒りがあなた一人に向けられていたとしても、他の人もあなたと同� ��ように不快感を覚えるだろう。
何一つポジティブな要素が見当たらないような時でも、気持ちはポジティブな方向へと向けるようにしよう。
「あの人だって、神様には愛されているんだから。」
このようなシンプルな言葉を唱えるだけでも、イライラは治まるものだ。もっとも、あなた自身は、その人のことなんてこれっぽっちも愛していないのだろうけど。別にそれでも良いのだ。
参考書籍:"Toxic Co-Workers"(「毒になる職場の同僚」)2000---邦訳未刊---
Alan A. Cavaiola, Ph.D.とNeil J. Lavender, Ph.D.の共著。厄介な人々と付き合わねばならない人にとって、役立つアドバイスが満載である。
無視すること。
声を大にしてわめき散らす人は、実は人からの注目が欲しくてたまらない人だ。
こういう人にお灸を据えてやりたいのであれば、本人が望んでいるような注目を一切与えないこと、これに限る。
あなたの気を引くのはどうやら難しそうだ、となれば、その人だって、自分の望むような形で関心を向けてくれる他の誰かを見つけて、そちらへと場所変えしていくだろう。何もあなたがその「誰か」になる必要は無いのだ。
(次回は【注意】の項へと移ります。)
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2012.03.03 |
「ありえない人」との付き合い方【Part 4】~英語版WikiHowより~ | [ エモーショナル・ヴァンパイア 心の吸血鬼 ] |
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前回、上の本を7割程読んだところ、と書き込みしました。読み終えてから、改めてこの英語版WikiHow・「ありえない人」シリーズをおさらいすると、アドバイスの大筋は一致していますね。
素人・玄人、いろいろな人が力や経験を出し合って寄せ書きしたWikiHowではありますが、あなどってはいけません。そこそこ上手にまとめられていて、かなり良心的な内容ではないかな~、と思います。(だからボチボチ日本語に直してみよう!と決めたわけですが...。)
特に、前半部「付き合い方・15か条」で再三繰り返している、
「相手から怒りや非難・罵倒をぶつけられても、それをそのままぶつけ返すな。」
については、心から肯けます。相手は� ��らく境界性(ボーダーライン)パーソナリティの人ですね。
確かに、怒りなどの【負の感情】を相手にぶつけ返さないって、大切...でありますが、また同時に、大変なことでもあります。並々ならぬ忍耐力、精神力、そして人一倍のストレス耐性が要求されますから。
何も考えず、エイヤッと投げ返すことができたら、どんなにか楽になるだろうね、こんなイヤ~な気分にさせられたんだから、一発仕返ししたいよね、と、悪魔が耳元でそっとささやく時だってあるでしょう。
やられたらやり返せ...なんて、ジャイアン(「ドラえもん」の剛田武)よろしく、血の気タップリの報復につい出たくなる。ええ、そんな気持ちだって、よ~くわかります。
(他人を責める方が、自分を責めるよりも簡単だ、という� ��格タイプもありますからね。たまたま私の場合は、自責傾向~私ってダメダメ~が際立って強いので、攻撃は内向きのことが多いですが。)
でもね、そこをグッとこらえるのです。
だって、あなたはもう大人なのですよ。
スーパーのレジ前でも遊園地の出口でも、所構わずかんしゃく爆発させる嵐の2歳児ではないのです。一人前の大人として、自分の衝動にギューーーッとブレーキをかけねばなりません。
時間はかかるかもしれません。でも、きっといつか、こらえてよかった、反撃しなくて良かった!(自分、エライ!!!グッジョブ!)...と、明るく語れる日が訪れますよ。
そして、ふっと心がほぐれた時に、頭の中をこんな考えがよぎっていくことでしょう。
「あの人の非難攻撃って、私を狙ってき� ��ように 見えた けど、実は、あの人の人生〇十年を、影から背後霊のように操ってきた、【苦しみ】という巨大な魔物に向けて放たれたものだったのか。」
「あの時、本当に彼がやっつけたかったのは、自分をがんじがらめに縛っている魔物・【苦しみ】の方だったのだな。」
「彼女、どうしたらうまく自分の内に棲む敵と闘えるのか、全くわからないみたい。しかも、耳も目もすっかり塞いじゃって、外からの情報をシャットアウトしている。
だから、ただ闇雲にその怒りやら、非難やらを目の前の私にぶちまけるしかなかったんだ。」
「自分の中に巣食っている【魔物】と私とをごっちゃにされたとあっては、こちらの言い分は聞いてもらえないだろう。元通りの付き合いは無理かな~。」
...そこまで落ち着きを取り戻せたら、後は【Part2】の第10か条目・「いずれ袂を分かつことになる」のプロセスへと一目散に進むしかないのでしょうね。
家族やパートナーなど、なかなか疎遠になることが難しい人々の場合は別でしょうが、単なる「知人」(いわゆる)「友人」「同僚」のカテゴリに属する人であれば、私だったら、もう、ここで見切りをつけます。心理や精神医療の専門家ではないので、これ以上の重責は担うことができません。
できないことは� �請け合いしちゃいけないのです。
餅は餅屋に。心理療法はプロに。 「あの人はなぜあなたを疲れさせるのか」の著者・アルバート・バーンスタイン博士だって、こう言っています。
「あなたの知っている人に心理療法を施してみよう、なんてゆめゆめ考えるな。相手も、あなたも、どちらもおかしくなるのが関の山だから。」
自分の苦しみは自分で何とかする。
また、相手にもなるべく自分の力でもって解決してもらうよう、促す。
そうした「自助努力」の交際ルールを守れない相手ならば、「元気でね。さよなら。」と心の中で別れを告げてもいいですよね。
【Part1】の3.「世の中には、どう頑張っても反りが合わない人々もいる。」にある通り、あなたとその人が単に相性が悪過ぎただけかもしれません。
うまく行かない人間関係を解消する、というのは、決して「人でなし」な行為ではないですよ。むしろ、自分の身の程を知り、なおかつ引き際を知っている、賢明な人のやることです。そのことで、相手と自分をさらなるダメージから守ることができるのですから。
「あちらさんにも、いろいろな面でもっと相性の良い人間関係が用意されているはず。
だから、自分はそのためにサッと席を空けて、次の人に譲ってやるのだ。」
...このように考えれば、少しは気持ちが楽になりませんか?
自分自身を、そして自分の大切な人々を守るため、どうか積極的に解決法を探っていってください。心の自由を、取り戻してください。
上に紹介したような本など、心のケアに必要な情報は世の中にたくさん出回っています。ネット時代の今、専門家の手による情報サイトや被害者サポート掲示板だって、いろいろあります。
どこから手を付けてわからなければ、心理の専門家と会って、話を聞いてもらうのが近道だと思います。
例えば、こんなユーモア満点の先生に会えるようなカウンセリングだったら、どうです?行きたくなりません?あ、別に回し者じゃないです~。でも、この先横浜に戻って生活することがあるならば、ぜひこちらのクリニック にお世話になりたいなぁ。HPの「モンキークリニック」は架空の存在ですけど、ちゃんとHP中に本物のクリニック@横浜市都筑区 の案内がリンクされていますよ。
...期間限定・戦場カウンセラー...ならぬ、「かうんさるー」(トップページ・左下にリンクがあります)、ウケちゃいました!個人的には、フレネミーについての解説、とても興味深かったです。この日記の一番下の方に登場する、「演技性パーソナリティ障害」と関連付けての説明、新鮮でした。そっか、自己愛性じゃないのですね~!
さ、それでは「ありえない人」シリーズ、先を急ぎます。
【ありえない人々(Impossible People)との付き合い方】
【役立つヒント】
★重要!!!★
問題となっている人物があなたにとって大切な人で、長期間にわたって係わり合いを持たねばならないような場合は、一度専門家と会って相談することを彼らに勧めてみよう。
泣き寝入りはしない。一人で犠牲者の立場にとどまらないこと。
「ありえない人」に立ち向かう前に、あなた自身が感情を上手にコントロールできるよう、ノウハウを学ぶ必要があるだろう。
仕事、家族関係、その他の関係で「ありえない人」をどうしても避けられないのであれば、何か他に興味を持てることを見つけるのはとても大事だ。サポートグループ、各種セラピー、宗教的な見地からのカウンセリングなど、必要に応じて利用しよう。
上とは逆に、彼らに「犠牲者」役を取られてしまい、★あなた★がさらに落ち込む、というシナリオも避けたいものだ。
「難しい人」が「私、犠牲者なんです」と周囲にアピールすると、あなたの立場も危うくなってくる。これは実に大きなストレス源となる。相手がそうした� ��動を見せる度に、あなたの中に罪の意識、そして「えっ?! どういうこと、これ?!」という混乱状態が蘇ってくるからだ。
相手の手口に気付いたら、あえて一歩引いてみよう。あなたの方から「ありえない人」の機嫌を取ってやったり、譲歩してやったりすることで、彼らは間違いなく自分から墓穴を掘っていく。結果は、「自業自得」である。
人間ならば、誰もがある程度は性格面での「障害/不具合」を他人の前で露呈するということがあるもの。
どこからどこまでが「普通」で、どこからが「おかしい」のか。線引きは人によって違う。単にそれだけのことだ。
**「演技性パーソナリティ障害」:この障害を持つ人は、性別に関わらず「ドラマクイーン」(どうでもいいような話を大袈裟に膨ら� ��し、過度に劇的なストーリーに仕立て上げる話し方をする人。)と呼ばれることが多い。人の注目を集めることが生きがいで、自分に関心を向けるためになら何でもする。住む所も、着るものも、子供の学校も、全て「イケてる」かどうかが決め手となる。
**「受動攻撃パーソナリティ障害」:受動攻撃タイプの特徴は、敵意を直接ではなく、遠回しに表現することである。表立って攻撃はしないが、他人の神経を逆撫でするのが得意だ。
...例1:夕食に招かれた客が、無邪気に放ったセリフ。「素晴らしいご馳走だね。安い肉の切り身でも、こんなに美味いもんが作れるとは。知らなかったよ。」
...例2:「私のことは心配しないで。大丈夫だから。」と、口ではそう言う相手を前にして、「全然大丈夫じゃ ないよ~、この人。」と、内心気がかりなあなた。もし、相手の言葉を額面通りに受け取って、「そうなの。じゃぁね。」と、そのまま立ち去ってしまえば、後から大問題となるのは火を見るより明らか。「あぁ、あの時にちゃんと手を打って置けばよかった。」とそこで悔やんでも、後の祭り、である。
(以下、次回へと続く)
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2012.02.25 |
「ありえない人」との付き合い方 【ちょっとここらで小休止】 | [ エモーショナル・ヴァンパイア 心の吸血鬼 ] |
まずは、こちらのブログでしつこく(笑)ご紹介してきました、「エモーショナル・ヴァンパイア(心の吸血鬼)」の範疇に属するような、そんな「あなたの周りの困ったチャン」な人達、であることは間違いないですよね。
ご自身の霊的能力や、夢、生体エネルギーなど、従来の精神医療では「異端」とされてきた領域を、患者さんの治療に積極的に取り入れているジュディス・オルロフ博士(Dr.Judith Orloff) 、それから、ピリリと辛口のユーモアでもって読者を愉しませつつも、バッチリ教育してくれる臨床心理学者・アルバート・バーンスタイン博士。
私の知る限り、アメリカで「エモーショナル・ヴァンパイア」と言えば、このお二人が代表的な「その道の権威」ですね。特に、オルロフ先生はメディアへの露出が多いので、一昔前の「エナジー(エネルギー)・ヴァンパイア」よりも、最近ではもっぱら彼女が用いる「エモーショナル・ヴァンパイア」の呼称が主流となりました。
そして、「人格障害」「パーソナリティ障害」(personality disorders)という、従来型の心理学・医療用語でもって、種々の「ありえない人」を解き明かしている方々。こちらはあまりにも多過ぎて枚挙にいとまがありません。
実際に読んだ日本語入門書の中で、「この一冊!」を問われたら、京都医療少年院に勤務されている医師・岡田尊司さんの下の本を推します。PHP新書の入門書も良書なんですけどね。でも、こちらの平凡社新書の方は社会全体との関わりにも詳しく言及されており、タイトル通り、現代をダイレクトに反映した視野の広さが魅力です。
【送料無料】人格障害の時代
印象として、「人格障害の時代」は当事者以外の人々向きでやや辛口、「パーソナリティ障害」は当事者&家族向き、口当たりはマイルド...ってとこでしょうか。
「境界性パーソナリテ ィ障害」 (英:borderline personality disorder、通称「ボーダーライン」「ボーダー」「ボダ」←ネット掲示板用語?)
(※本日より、岡田先生その他の人々の例にならい、「人格障害」ではなく、「パーソナリティ障害」に用語を統一いたします。)
...って、耳にされたことある方は多いと思います。
が、
「高機能境界性パーソナリティ障害」
...って、皆さん、ご存知でしたか?
つい最近まで、私、全く知りませんでした。境界性/ボーダーライン、で思い浮かべるものといったら、感情の起伏の激しさ、自傷行為(リストカットなど)、見捨てられることへの恐怖、薬物・アルコールなど嗜癖に関する問題(なんか80年代の超人気アイドル・少女Aさんを彷彿とさせますね...)
それら、「教科書的な」境界性パーソナリティ障害(以下、BPDと略)� �特徴って、
低機能BPD
の患者さんに当てはまることが多いのだそうです。世に出ているパーソナリティ障害の解説書でも、説明は低機能ボーダーラインに関するものがほとんどです。そして、医療現場、それも精神医療の専門家達の間でも、高機能ボーダーラインを的確に診断できる人材はごく少数と言います。世界の最先端を行くアメリカでさえ...!
素人がなかなか気付かなくても、そりゃー仕方ないよ、ってくらい、まだまだ未知の領域なのです。
...【高機能】境界性パーソナリティ障害を持つ人は、
【ごく普通の人として、ごく普通に日常生活や仕事をこなすことができる。場合によってはかなりの社会的地位を確立しているので、外見だけではその問題の深刻さが全くわからない。】
< p>というのが特徴です。だから、職場ではバリバリと第一線で活躍しまくるあの人も、
ボランティア活動に献身的に励んでいる「いい人」の彼女も、
学校では成績優秀な模範生として通っているあの子も、ひょっとしたら「そうかも」しれない。
「対人操作」に非常に長けていて、自分を傷つける(低機能に多い)よりも、唐突な「こき下ろし」「非難」「責め立て」によって、ごく身近な人々を傷つけます。「自分はどこもおかしくない」と頑なに信じ込み、心理療法や医師の診察を拒み続けるため、家族は苦労します。
比較的若年層が多い低機能グループと異なり、高機能の場合、必ずしも年齢が若いとは限りません。50代、60代の人もいます。従来の診断基準に引っ掛かっておらず、医療の網からボロボロと� �れていた...単にそれだけのようです。
この文章を読んでいらっしゃる方なら、おそらくは一人や二人、「ありえない人」と過去に出会った実体験をお持ちなのではないでしょうか。と、勝手に推測します。でなければ、こんな【不愉快な】トピックなんて、サッとスルーして「見なかったこと」にしてしまうでしょ(笑)?
で、あなたはその、「ありえない人」との間に、こんな経験をしませんでしたか?
「心地良い春の日差しを楽しんでいたところ、突然、空がどす黒く変わったかと思うと、
ドドーン!!!と強烈な雷に自分のハートを直撃されて、息の根を止められた。」
...わかりにくい比喩、すみませんねぇ。でも、素人の自分がこれ以上出しゃばって知ったかぶりをするのは、倫理的にダメ!A big no-no! だと思うのですよ。これ、長い年月と、多大なる努力を積み重ねてプロフェッショナルの称号を手にされた方々に対しての、私なりの敬意の表し方です。(2012.01.16の「臨床心理士はつらいよ」 前・後編をご参照ください。)
世間の人には、「あのようなちゃんとした人」があなたをターゲットにしてそんなことするなんて、全く信じられない、嘘みたいな話、と聞こえてしまうのです。もし、誰かに窮状を訴えたとしても、「あんないい人を悪者扱いするなんて!あなたの方に非があったんじゃないの?」と、軽くあしらわれてしまう。
そのくらい、外からは「わからない」のです。この「高機能境界性パーソナリティ障害」の別名、それは"invisible borderline"、(見えないボーダーライン)だそうです。
もし、何かここで引っ掛かるようでしたら、ぜひ、この「高機能境界性パーソナリティ障害」について、徹底的にリサーチされることをお勧めします。「高機能」「境界性」「ボーダーライン」「ボダ」などのキーワードを色々と組み合わせて、ググッてみてください。何か、「あぁ、そうだったのか!」と合点がいく記述に出会えると思います。幾人か、個人のブロガーさんが詳細に解説されていたので、詳しくはそちらに譲りたいと思います。
こちらの「ソレア心理カウンセリングセンター」の記事、「境界性パーソナリティ障害(BPD)の方を周囲から見守る人のための5つのパワーツール」の文中、真ん中よりちょっと上の 4)高機能BPD の項を読んでみてください� �
(他の記事も勉強になります。リンクフリーとのことで、紹介させていただきました。ありがとうございます!)
上の記事中に紹介されていた、ランディ・クリーガー女史の著書(ポール・メイソンとの共著)です。
【送料無料】境界性パーソナリティ障害=BPD
これは、境界性パーソナリティ障害を患う方ご本人のため、ではありません。 それは予めお断りした方が良いでしょう。
【周囲の人向け】に、対応の仕方を指南してくれるマニュアル本です。
「困ったチャン」に好かれやすい、と、うすうす感じている方(境界性パーソナリティに限らず。)なら、一読の価値があると思います。
どのような性格が「ヴァンパイアさん、カモ~ン!餌はこっちだよ~!� ��になってしまうのか。そして、それをどのように改善していったら良いのか。その辺りを詳しく順序立てて教えてくれます。まだ私も7割程(英語版なのでノロいです...)しか読んでいませんが、それでも、すんご~く役に立った、種明かししてもらって良かった、と、感じる場所がたくさん見つかりました。
「アダルトチルドレン」「共依存」「低い自尊心」...このようなキーワードにビクッと反応しちゃう方ならば、きっとこの先の人生を生きていく上で、頼もしい盾と鎧のような存在となってくれるでしょう。
あくまでも、 ☆自分☆ と、 ☆自分の大切な人々☆ をを守るための、盾と鎧です。
相手を傷つけ、死に至らしめるような銃や刀は要りません。持つ予定も無いです。
人知れ ぬ苦しみへの理解、思いやり、そして離れたところから「早く助けを求めて、平和な日々を迎えてね。」と祈る心。それだけあれば十分ではないでしょうか。そして、前に進むのです。
"Sometimes God holds your shoulders so lightly that you don't feel it. "
「神はあなたの肩を抱いている。けれど、それがあまりに軽やかなので、あなたは気付かないこともあるのだ。」
(ジュディス・オルロフ「ポジティブ・エネルギー」矢鋪紀子 訳、サンマーク出版、2006、p.65)
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2012.02.18 |
「ありえない人」との付き合い方【Part 3】~英語版WikiHowより~ | [ エモーショナル・ヴァンパイア 心の吸血鬼 ] |
【ありえない人々(Impossible People)との付き合い方】
12.管理する人(マネージャー)になろう。
関係が切れるまでの間、あなたに託された任務とは、「ありえない人」を管理する立場となることだ。あなたがこの人を管理することで、被るダメージを極力減らすことができる。
管理する人(マネージャー)であるあなたにとって、問題を解決する最良のリソース、それは【沈黙】だ。(このような状況では、まさしく「沈黙は金」だ。)
相手をおだてて、いい気分にしてやるのも良い。
だが、くれぐれも「ありえない人」を「直して」してやろう、なんて望みは一切捨て去るように。「ありえない人」が理性の声に耳を傾けることは、ない。無理なのである。(たとえ聞こえてきても、聞く耳を持たない。)
あな� �との間で起こっているいざこざに関して、責任の一端は「ありえない人」の側にもある、などと説得を試みない方がよい。無駄だから。
こうした人は、自分自身の欠点に気付かない(仮に気付いたとしても、それを直そうだなんて考えたりはしない)。彼らの弁では、これには実に筋の通った理由があるという。「私には間違ったところなど一切、無い」というのが、それだ。
あなたの方が、こうした彼ら特有の思考法を理解してやらねばならない。その際に、相手を責めたり、怒りに我を忘れたりしないよう、気を付けよう。これも「言うは易し、行うは難し」であり、ついついそうした行動に出てしまう時も「ある」かもしれない。だが、時間が経つにつれて、あなたはよりよい管理スキルを身に付けていくことだろう。
13.「ありえない人」は、投影(*注)のメカニズムを用いることに気付こう。
【*投影:
「心理学で言う投影(とうえい)とは、自己の悪い面を認めたくない
とき、他の人間にその悪い面を押し付けてしまうような心の働き。 また、良い
投影の場合は、自分の中の良い経験を、相手も同じではないだろうか?と良い方
に感じてしまう。(Wikipedia「投影」の項より)】
「ありえない人」を相手に会話すると、「あんたの方こそ、カクカクシカジカという行動をしょっちゅう(いつも)しているじゃないか!」と逆に非難の矛先がこちらに向いてくる。このメカニズムを理解すること。
たとえば、「ありえない人」がふと、この文章を目にしたとする。すると、その人は「あぁ、これはあの人(=あなた)のことを書いた文だ!」として受け取るのだ。
「ありえない人」の中にある欠点は常にあなたの方にある欠点とみなされ、「ありえない人」が犯した過ちは常にあなたが犯した過ち、として受け取られることになる。こうした彼ら流の物の見方に対しては、あらかじめ心の準備をしておくこと。
「ありえない人」の頭の中では、悪 いのは何でもかんでも【あなた】の方だ、と決まっているのだ。これを忘れないように。
こういう人は、裏付けとなる理屈など次から次へといくらでもひねり出せる。また、「じゃぁ言ってみてよ」などとこちらがうっかり口を滑らせようものなら、それこそ大変だ。相手は、【あなた】の方こそ「ありえない人」じゃないか、と反撃してくるだろう。そして、あなたの中では自分が「ありえない人」と間違った印象で捉えられることを知ると、「あんたがそう思っているだなんて、こりゃまた、たいそうな皮肉だこと。」と言いつつ、嬉々として語り続けることだろう。
14.彼らの真逆を行こう...「ありえる人」(possible person)になるべし。
寛容さ、忍耐強さ、謙虚さ、そしてある程度親切心をも持ち併せた(これはなかなか難しいかもしれないが)人間の模範として生きよう。
私達の誰もが、周囲の人々から何らかの影響を受けている。その人達が四六時中完璧な人間である必要は、無い。これはあなた自身にも当てはまる。
あなたも、人類という仲間の一員だ。
だから、他人には敬意を贈ろう。もし、お返しに敬意が戻ってこなかったとしても、それは哀しいけれど、先方の問題だ。
他人には理解を示そう。そうすれば、あなたにも理解がお返しに与えられる。
突き詰めて考えるに、こうした「ありえない人々」の心に唯一届くのは、こうした接し方だけと言ってもいいのではないか。
全てが変わることはないか もしれない。それでも、きっとあなたにとっては何かが変わると期待してよいだろう。
ポジティブ・エネルギー |
(これまでに何度もご紹介してきた、大ファンの精神科医&霊能力者・ジュディス・オルロフ先生の代表作です。なぜか絶版なのが残念。アメリカでは、最新刊"Emotional Freedom"と同じくらい、着実に部数を伸ばし続けているというのに...。古本ならまだ入手できそうです。)
15.「やられたらやり返せ」は禁物。怒りをぶちまけるな。
【次回、「役立つヒント」の項へと続きます。】
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