世界最初の爆弾って誰が作ったんだろう??
なんか、元寇のときに元軍がそれっぽい物を使ってる絵が残ってるけど、それが最初なんですかね?誰か、詳しい人求ム!!
さっしのとおり朝鮮です
高麗だか高句麗のときにはじめて実践に使われたと思った
>なんか、元寇のときに元軍がそれっぽい物を使ってる絵が残ってるけど
「てつはう」とかいったらしいね・・・
1161年の金の南宋侵攻で宋の都建康(現南京)攻防戦に火薬が用いられたのが最も早いという
説がある。火薬というだけで爆弾かどうかわからないしどちらが使ったかも知らない。
戦いは珍しく宋の大勝。
だった。
殺傷能力がどのぐらいあったのかは不明だが、砕け散った鉄の破片が
飛び散るようになっていたらしい。
まあかなり痛いことは想像できる。
どんな経緯で西へ伝わっていったのかは知らないが、熟成させたのは
ヨーロッパ人だった。
中国はもっぱら祭りなんかの行事に使われてたみたいでほとんど進歩
しなかったみたい。
まあ統一王朝下で進歩は見られるはずもないが・・・
でも火薬そのものの発見は唐の頃だったと思うよ。
「震天雷」と「てつはう」って同じ物?
>6
同じです。確か蒙古は金を攻略する際に
震天雷を初めて知ったのではないかな?
三国時代に爆弾の原型であるものが実戦で使われたそうです。
殺傷目的ではなく、なにかの合図や威嚇用に用いられたってね。
今から1800年グライ昔などというのに、、
ノーベルが発明したダイナマイトとそれ以前に使用されたと思われる爆弾は別物なの?
ダイナマイトは別物だろ。
良く分からんが。
農業の新しい方法は何ですか
火薬は長らく燃焼材の木炭粉、着火材の硫黄、酸素貯蔵材の硝石の三つを混ぜた
黒色火薬。
ダイナマイトは3硝酸グリセリン(不安定な液体で瓶を倒すと爆発したりする)を
珪藻土に染み込ませて安定させたもの。珪藻土は自身の何倍もの液体を吸収するので
3硝酸グリセリン圧縮するような意味もあった。
>8がいうのは花火の最初かな?
>1がいうボム系の火薬兵器は宗の前五代十六国時代に
発明された物らしいです。
それが宗→金にといって(つーか征服)モンゴルへと
伝わった(これも征服)
サンクス。全く別物だったのですね。
宋の前だと五代十国ですか。隋の前の五胡十六国もあったので。
その時代のどこの国かはお分かりになりませんでしょうか。
日本の火薬類取締法では火薬と爆薬とが区別されている。というのは火薬類のうち、
火薬(Low Explosive Powder)は銃砲の発射薬やロケット推進薬のような推進的爆発用に、
高温高圧ガスを発生させるが容器を破壊するほど激しくは爆発しない(爆燃という)物、
それに対し爆薬(High Explosive)は専ら破壊的目的の為に用いられるもので、
急速燃焼により超音速の圧力波(衝撃波)を伴う激しい爆発(爆轟)を引き起こす物、
という本質的相違があるからだ。だから後者を利用した殺傷兵器を爆弾と定義するなら
「てつはう」は推進薬を用いた銃砲兵器ではあっても爆弾兵器とはいえないだろう。
なお、この手の火薬を筒に詰めて何かを飛ばす兵器「火箭」については北宋時代
(1045年頃)に書かれた「武経総要」の中に既にそれに関する記述があるというし、
AkhavanはAD940に中国人が黒色火薬系爆発物から「火玉」を発明したと記述している。
とはいえ、黒色火薬はそのどちらの用途にでも用いることが出来る火薬なので、
厳密な意味での爆弾兵器も遅くとも北宋/金時代には使用されていたらしい。
例えば「金史」において、爆弾に点火すると雷鳴が轟き、城壁は崩れ落ち、
煙が空を覆い、外にいた大勢の兵士は驚死した、という記録があるからだ。
この北宋の火薬利用技術は高度なもので、金は1127年に北宋の首都・べん京
にあった火薬工場を手に入れ、また火薬兵器の生産地であった山西省の沢州や
河北省の大名をも占領することでその技術を入手したらしい。
湿度計はどのように動作しますか?
なお黒色火薬自体の発明についてだが、これは中国の錬丹術師(厳密にはその先駆者)
の手によるものらしい。既に秦代には黒色火薬の材料である硫黄と硝石はそれぞれ単独
に医薬として用いられており(後漢時代に編録された「神農本草経」にも記述あり)、
誰かがこれを混ぜ併せ「発明」してしまったのだろう。AkhavanはBC220年に中国の
錬金術師たちが銀から金を低温反応によって分離しようとしていた時に偶然黒色火薬を
造ってしまったため起こった事故に関する報告が存在すると書いている。
参考:中西正二「火薬学概論」産業図書:岡西為人「本草概説」創元社
吉田信弘他「火薬が心臓を救う」ダイアモンド社
Jacqueline Akhavan: The Chemistry of Explosive: The Royal Society of Chemistry
あなたの記載による定義だと「てつはう」は爆弾になりますが?
あれはボカーンと爆発するみたいですので…
あれは一種の花火で、カタパルトを使って打ち出していたようですが?
ああ、これはうっかりしてた。つい「てつはう」という言葉にだまされて
鉄砲みたいなものだと勘違いしてたよ。なんかこれは鉄のお椀を二つ張り合わせた
ものの中に火薬を入れて打ち出したり、投げつけたりする兵器なんだね。
張り合わせなだけに完全な密閉状態にあったわけではないだろうから、
爆発力も限られ、衝撃波を伴う「爆轟」を起こすほどじゃなかったろうが、
それでもこれは比較的「爆弾」に近いものだね。失敬、失敬。
あと付け加えることと言えば、中国でこれだけ早く火薬が生まれた他の理由は
資源の偏在(特に硝石)らしい。天然の硝石が採取できる地域が限られていた
(例えば当時高い文明水準を誇ったアラビアには存在しなかった)ことが
発明・普及のためのネックになったと言われている。
前にビッグコミックで連載していた「墨攻」というマンガで、
既に戦国時代の中国で、密かに火薬が発明されていたという設定がありました。
主人公(「これが戦で使われたら世の中は悲惨なことになる」と考えて闇に葬った)
もちろん完全なフィクションだけど、墨子教団の高度な科学・技術レベルを背景にしてるだけに、
「ひょっとしたら」という感覚が味わえて面白かったです。
11 hexominoesは、キューブを形成することができる
その代わり現在は黒い水のお陰でアラブは潤い、中国貧乏になってます…
とかいうのを読んだ記憶がある。500年の断絶があるのは「野蛮な兵器だから」と
いう理由で権力者が製造法を抹殺したとかいう話だったな。
ヨーロッパでは14世紀のアタマにフランシスコ会修道士のルトルド・シュワルツが
発明したということになっているそうだが、火薬って中国から伝わったんだよなあ。
ちなみに、シュワルツは「魔法を使った」という理由で監獄にぶち込まれたという。
爆弾と関係ないのでsage
13世紀末のアラビア人の手による火薬配合法が残っているそうだし実際に
城攻めに使用もされたらしい(さすがサラセン人の技術水準は高かった)。
だから1257年の方は本当だろうけど、やっぱり690年はトンデモだね。
ただし、>>19の言いぐさじゃないが、サラセンも「石油からくり」と呼ばれる
石油とアスファルトを主成分とした焼夷兵器を持っていた。これはもしかすると
673年のコンスタンチノープル包囲で、東ローマ軍に「ギリシャの火」と
呼ばれる焼夷兵器(ナフサ、硫黄、ピッチ主成分のものだったらしい)で
さんざんやられたために思いついて造ったものかもしれない。これは火薬では
ないけれど、これのことなら年代は合うよね。
で、アラビアでは硝石は輸入品で、彼らは硝石のことを「中国の雪」「中国の塩」
と呼んでいたそうだ。その配合の記述も「硝石10、硫黄2、木炭3.25、中国鉄10」
と中国色が強い。欧州にも13世紀から14世紀にかけてアラビア経由で火薬が
入って行き、城攻め用の火砲は1346年における仏英間の「クレシーの戦い」
などで威力を発揮したのち普及して行くが、これはインドにも硝石が有ることが
わかったことと、またある程度は硝石が人工的に作れることがわかったことも
理由として大きいらしい。
最後にフランシスコ会修道士シュワルツ(別名火薬修道士)に関して言うと、あまり
はっきりしたことはわからないらしい。存在そのものを疑う科学史家もいるようだが
前に挙げた Akhavan の本の年表には「黒色火薬を研究し、それが中部ヨーロッパに
導入されるのを助けた」という形で記述されている。
ベン京(現開封、ユダヤ教徒が大勢住んでいた)に火薬工場があったのですか。>12に依れば
五代十国(隋の前ではないでしょう)の発明とありますがどうなのでしょうね。
心臓を救うというのは血管拡張剤の3硝酸グリセリン(俗にニトログリセリン)の事ですか。
>>21
鉄を加えるのは何故でしょう。量も多いし。
>ベン京(現開封、ユダヤ教徒が大勢住んでいた)に火薬工場があったのですか。>12に依れば
>五代十国(隋の前ではないでしょう)の発明とありますがどうなのでしょうね。
私は所有しておらず、参照もしていないが、前に挙げた吉田の本によると、火薬史の大家で
元日本化薬の役員だった南坊平造氏の労作である「古代史火薬史年表」という本には、
1040年に北宋の首都べん京に火薬工場が建設されたことが記述されているそうである。
(なお、Akhavan にも同一の記述が見られる)
また前に15で述べたように、Akhavan は940年に中国で黒色火薬系の爆発物が用いられた、
と書いているが、これが本当なら年代的に五代十国の時代ということになる。
どこで誰にどういう風に使われたかの記述がないのは残念だが。
ただ、黒色火薬の発明自体はそれより遥か前だろうというのは前に書いた通りである。
>心臓を救うというのは血管拡張剤の3硝酸グリセリン(俗にニトログリセリン)の事ですか。
その通り。吉田らの本は主として薬剤/爆薬としてのニトログリセリンに関する本なのだが、
後半部は火薬全般に関する歴史と科学を扱っている。大変面白い本なので一読を勧める。
>鉄を加えるのは何故でしょう。量も多いし。
これはわからない。現在の黒色火薬の配合は(用途によって違うが爆発用には)硝石60〜70%、
硫黄15〜25%、炭素10〜20%ぐらい、散弾発射用にはそれぞれ、74〜80%、6〜12%、10〜16%
が普通で、アラビア文献における硝石、硫黄、炭素の配合はそれぞれ、65.6%、13.1%、21.3%と
現代とそう隔たったものではない。鉄が粉体で酸化剤の硝石がもっと多ければ、この鉄の配合も
燃焼を激しくする用途が有るのかもしれないが、この場合は当てはまらないように思える。
恐らく殺傷力を増すため鉄片のようなものを入れただけではないかと思うのだが。
@@ここでちょっと驚くべきことに気づいた。前にトンデモとして片づけたアラブの690年
における火薬使用の話なんだが、Akhavan の年表に「アラブ人がメッカ包囲において黒色火薬使用」
と書いてある!! ただ本文にはこれに関する記述はナシ。うーむ???
参照せずにあれだけお書きになれるとは恐れ入ります。
690年というとムスリムの正統を巡っての内戦ですかね。
age
当時の日本軍を驚かせたと言われる炸裂弾「てつはう」(読み方は「てっぽう」)
の実物が、長崎県鷹島町の海底から初めて出土した。
海底の砂泥の下から、直径14センチほどの陶器製の球が計四つ出土。
形状からほぼ「てつはう」に間違いないという。(毎日新聞)
「てつはう」は殺傷用というよりは威嚇用として用いられていたそうですね
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